rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

ようやく退院。

13日間の入院生活がようやく終わって自宅へ戻って来た。長かった。

リンパ液や血液などの廃液が溜まるドレーンが外れたのが10日目の朝。微妙に減らなくて、なかなか外してもらえなかった。

「退院したい日のご希望とか、ありますか?」と看護師さんに聞かれたので、無理を言って日曜日の午前中にしてもらった。土日祝日の病院は本当に暇なので、さすがにもういいな、と思ったのだ。

 

ヘルシーで薄味で野菜たっぷりな給食を食べていたので、テレビで見るのは「美味しいもの特集」ばかり。今日のお昼は、近くの美味しいラーメン屋さんへ。

お腹いっぱい食べた。ごちそうさまでした。

 

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コロナ禍後の病院は、家族であっても簡単には面会も出来ない。

「手術の日はご家族の方は、絶対に病院に来ないで自宅で待機していてください。何かあった時には携帯に連絡します。無事に手術が終了したら、主治医から直接電話があります。携帯にすぐ出られるようにしていてください。」

と言われ、最初は戸惑った。手術の時の立ち会いも、病室で待ってることも出来ない。

面会は平日のみで時間も決まっている。病棟のナースステーションに電話して、事前に予約を取って、一人20分まで、という制限付き。それも、待合のロビーの所で。

病室は見舞客もなく、静かだった。

 

私が入院したのは大部屋(5人部屋)。

隣のベッドのMさんがすぐに話し掛けてくれた。

「私は乳がんの手術、今回で2回目なんですよ。」と言うと、「えーっ、私も2回目です。1回目は7年前で。その時は温存でリンパ節郭清したんです。今回は反対側に出来て、全摘でリンパはセンチネルだけ。2回ともトリプルネガティブだけど、別物って言われました。」と教えてくれた。

まだ若くて娘さん二人も育ち盛り。遺伝子検査で陽性(HBOC)だったので、いずれは温存した方も全摘手術する。卵巣も手術で摘出する予定、とのこと。今回の手術の後は、抗がん剤治療を受けるらしい。

「7年前の時は術前抗がん剤だったんです。副作用がとってもひどくて。今から恐怖なんですけど。生きるためには頑張らないと。」と、厳しい状況なのに前向き。

私とは20も歳が違うのに、なんだかんだと話は尽きなかった。

 

向かいのベッドのHさんは、「私はステージ0、ゼロなの。99%死なない、と主治医には言われたんだけど。最初は全摘と言われてすごく悩んだの。それが温存で行ける、ということになって。ホッとしたわ。」と話していた。

非浸潤性乳管癌なのだろうか。ドレーンも付けなくて済んだようだ。手術後も放射線治療はするものの、ホルモン剤などの服用も一切なし。私から見たら羨ましいことばっかりだが、告知された時の衝撃は大きかった、と話していた。

 

そんなMさん、Hさんと穏やかに過ごした入院生活。最後の二日間は私一人だった。

大部屋なのに個室みたいで、優雅にのんびり生活を満喫した。