特別養護老人ホームに入居している義母が亡くなった、と義兄から連絡が来たのは4月20日の夜10時過ぎの事だった。
同じ日の朝、義兄から兄妹夫婦のグループラインにメッセージが届いていて、義母の具合がかなり悪そうで苦しがっているので、入院することになるかも、という事だった。
10年ほど胃ろうにしているが交換する時期になっているらしく、翌日にそれをする予定にもなっていた。
心臓にはペースメーカー、栄養は胃ろうを通して補給される。苦しくても生かされてしまう。「なんだか、生き地獄みたいだよな。」と、夫は深いため息をついていた。
そんなタイミングで義母は亡くなった。この2年間ほどは、特養ホームから病院への入退院を繰り返し、LINEのビデオ通話で見る姿も、本当に辛そうだった。
コロナ禍になってからは面会も出来なかった。ここの所少し調子が良い時には、介護スタッフの方がLINEでつないでくれて、少し会話をすることも出来た。
「母さん、わかるかい?」「わかるよー。」と、夫と会話して、私の名前も何度か連呼してくれて、手を振ってくれた。それが最後になってしまった。
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夫の実家は北海道の帯広市。こちら仙台市からは帯広空港への便はないので、千歳空港まで飛行機で行って、その先はレンタカーを借りて行くしかない。高速を使っても2時間半ほど掛かる。
航空券の予約、レンタカーの予約、兄妹とあれやこれやの連絡、と大忙しで夫はあまり眠れなかった様子だった。
21日、大急ぎで荷物をまとめて、昼の便で千歳空港へ。そこからレンタカーを借りて移動。
夕方4時頃到着。
義兄も義姉も葬儀屋さんとの打ち合わせで大変そう。千葉県在住の義妹は、私たちより先に到着していた。
コロナ禍ということもあり、家族葬でこじんまりと、と聞いていたが、行ってみたら普通にちゃんとしたお葬式だった。
「高齢だし、こんな時だから。」と欠席した親族もいたが、若い人に付き添ってもらって出席する高齢者の方が多かった。最近の葬祭会館はとっても綺麗で設備も整っていて、宿泊も出来る。ちょっとした旅館かホテルのようだった。
22日はお通夜でそのまま宿泊し、23日にお葬式。24日に帰って来た。
1年以上コロナ禍で旅行らしい旅行もしていなかったので、今回が本当に久しぶりの旅行のような感じで、たくさんの親族と会話も交流もして、こんな時じゃないと聞けない話をたくさん聞いた。
お通夜、お葬式を通して晴天で穏やかな良いお天気だった。義母の人柄そのままの、暖かいお葬式だった。