義母が亡くなった翌日。
夫と私が義兄宅に到着した頃、テーブルには通夜・葬儀の予定表やカタログなどがたくさんあって、姪っ子二人の子供たちもいて、なかなか賑やかだった。
「スライドショー用に母さんの写真を用意しなきゃいけないらしいんだ。これがなかなか大変で。」と義兄が困っていたので、夫も私もスマホに入っていた過去の写真から発掘した。
「うわぁ、○○(義妹)すごいな!まるでちびまる子ちゃんだ。(笑)」「ちょっとー。そんな写真使うのやめてよ!」
「母さん、若いなー。これなんか、顔がパンパンだわ。」
昭和感満載の写真を前にして、みんなで大笑い。
10年前に義妹と一緒に写した写真が遺影に使われることになった。ニコニコ笑顔でとっても穏やかな表情。この2年ほどは辛くて苦しそうな表情ばかりだったので、元々の義母の明るい顔を思い出して、ほっとした。
22日午後、葬祭会館へ移動。納棺の儀。
(そういえば、「おくりびと」っていう映画があったなぁ。)と、義母の体が綺麗にされていく様子を見守りながら、父が亡くなった時のことを思い出していた。
棺に納められて、夕方からは通夜。その直前にスライドショーが始まった。
義父が離農して事業を始め、共同経営をしていた人がお金を持って逃げるという、昔よくあったような展開で、保証人だった義父は多額の借金を背負うことになった。体が弱く入退院を繰り返す義父に代わって、義母は朝から晩まで働き詰めだったそうだ。
男まさりで気丈な人で、弱音もあまり吐かずにあちこちで働いていた。
「うちの父さんは、騙された、騙されたってよく言っていたけど。騙す方はもちろん悪いけど、騙される方も悪いんだよ。」と、口癖のように言っていたそうだ。
歳を取ってからも、旅行をしたり贅沢を楽しんだりすることは一切なく、子供たちや孫のために貯蓄に励んでいたらしい。孫やひ孫に囲まれて、楽しそうな様子の写真が続く。
帯広までは遠くて、なかなか会いにはいけなかったのに、私たち家族と一緒の写真がたくさんあった。義母の楽しみの一つになっていたのだろうか。
スライドショーを見て、みんな泣いた。その後、喪主挨拶をした義兄もボロボロだった。
義母は真正直で裏表も飾り気もない人だったから、みんなに愛情を持って接して来たのだろうな、と思う。
夫も義兄も義妹も仲が良く、集まるとすぐに義母の元に行っていた。
私も、いつも温かい優しい言葉を掛けてもらっていたなぁ。
お義母さん、どうもありがとう。