rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

北海道旅行4日目

6月24日(日)

トマムのリゾートホテルに宿泊して、また帯広に戻った。トマムから車で50分ほどで義母のいる特養ホームに到着。
義母の部屋のドアを開けてびっくり。義母の実母、100歳のKおばあちゃんが来ていた!!Kおばあちゃんと会うのは17年ぶりである。それにしても元気だ。苫小牧から帯広まで電車で一人で来て、昨夜は義母の部屋に泊まったのだという。話すこともしっかりしていて、耳も遠くない。可愛らしいおばあちゃんなのだ。

「胃ろうっていうので栄養を体に流し込む、って聞いて、どんなものなのか、すごく気になったのよ。」とおばあちゃんが言うと、「親バカなんだよ。まったく、いつまで経っても子供扱いして!」と義母は少々呆れ気味。80歳の娘(脳卒中で左側麻痺、車椅子)と100歳の母親。すごいツーショットだ。

「私は暇だからね。いつもこんなのばかり見てるのよ。」とテレビ画面を指差す義母。なんと、私と夫の結婚式のビデオを見ていたのだ。あら〜、恥ずかしい。その後も、生まれたばかりの長男を夫が沐浴させてるビデオとか、義母の甥っ子の結婚式のビデオとかを見せられた。

旅行第1日目に義母に会った時は、「体もこんなだし、口から食べることも出来ないし(胃ろう)、腰痛もひどいし、お腹もゆるくて外出も出来ない。私なんか、もう全然ダメ。もう、全然ダメなんだわ。生きていても何もいいことない。」と語り、超ネガティブだった義母。それがニコニコと笑顔満面になるほど元気になった。

「生きていれば、いいこともあるもんだね!」と、希望に満ちた笑顔を見られてほっとした。

「今度はいつ来れる?何年後?」と何度も何度も聞いてきた。年を取ると寂しくなるのだろうな、と思う。

夫が子供の頃、家は農家でわりと豊かな生活をしていたらしい。夫の父親が離農して建築関係の事業を興し大失敗。負債を抱え、父親は病気がちになり入退院を繰り返し、家計は母親が働いて必死に支えたのだという。舅、姑も一緒の生活。義母は筆舌に尽くしがたい苦労の連続だったのだそうだ。

会うと必ずその頃の苦労話を聞かされるのだが、義兄のことをいつもメチャ褒めする。札幌の大学に進んだのに、家業を手伝わせるために辞めさせて帯広に戻って来させたのだそうだ。

「生活が立ち行かなくて、親戚関係のゴタゴタも多くて、○○(義兄)は本当にものすごく苦労したよ。それに比べて○○(うちの夫・3人兄妹の真ん中)なんかラクなもんだよ。苦労って言ったって、自分のことばっかりだもの。自分のことばっかりやってればいいんだから。」

と、義母は毎回のように言うのだが、中学から新聞販売店に住み込んで働いて、新聞奨学生として自力で大学を卒業した夫の苦労って、そんなに簡単なものではないと思うのだ。私が母親だったら、とてもそんなことは言えないな、といつも思う。

義母と夫がケンカした時、「母さんは、どうせ兄貴の方がかわいいんだろ!」と言ってたこともあった。義母にしてみれば、いつも近くにいて自分の面倒を見てくれる義兄がやっぱりかわいい、というのも正直な所なのだろうとは思うが。人の苦労は比べられない。

帯広を離れて栃木の大学に入った夫は、忙しさもあってほとんど実家に帰らずに過ごしたのだそうだ。「実家が大変な時なのに、勝手に大学に入って。」と、義母にはよく思われてなかったらしい。

しばらくして義兄も特養ホームにやって来て、昼ごはんを食べて別れた。私と夫は帯広空港へ。帯広から羽田、そして新幹線で仙台へ。

最初の予定では、東京駅で別れて、夫は京都へ帰ることになっていたのだが、「自宅に戻ってやらなきゃいけないことがいろいろあるから。一緒に帰るよ。」ということに急遽変更。自宅の用事をあれこれ片付けてくれて、運転免許の更新などにも行き、毎日何だか忙しくしているうちに過ぎて行ってしまった。気がつけば、8日間も一緒に過ごしていたんだな。

勤続30周年の旅は、こうして終わったのだった。