rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

アラフィフ食事会

先日、遅番のAちゃん、中番のOちゃんと3人で、パートの仕事帰りに晩御飯を食べに行った。3人が一緒に遅番シフトになる日があり、そのままファミレスへ。

中番のOちゃんは53才で入社(現在54才)。早いもので1年7ヵ月になる。遅番が慢性的な人手不足なので、月に何度か遅番シフトもこなしてくれている。Aちゃんは49才、私は52才。

Oちゃんが入社したての頃、(新人さんには厳しくしっかり教えなきゃ)と思っていた私は、彼女に辛く当たってしまったことが何度かあった。扱いにてこずるような新人さんが、入っては辞め、また入っては辞め、と続いていた時期で、どう接したら良いものか悩んでいた頃だった。

私だけではなく、店長も先輩たちも、Oさんには辛く当たってるところがあった。「もの覚えが悪い」「お喋り多すぎ」「敬語の使い方がヘン」「そのうち辞めるんじゃないか?」etc。

ところがOちゃんは、そこであきらめずに頑張った。持ち前のバイタリティを発揮したのだ。

「この頃、Oさん頑張ってるよね!最初の頃と比べて見違えるような成長ぶりだよ!」と店長が認め始めた。「本当に良く頑張ったよね。すぐ辞めちゃうかと思ったのに。」と先輩たちにも言われ、Oちゃんは嬉しそうにニコニコしてる。

ご主人の自営業を手伝っていたのを辞めて、飛び込んだパートの仕事。最初の頃は不安でいっぱいで、そのためかネガティブな発言も多かったようだ。今はすっかり周囲に溶け込み、おしゃべりで明るいOちゃんの周りは笑い声が絶えない。

「Oちゃん。新人さんで入ったばかりの頃は、辛くあたったこともあったよね。本当にごめんね。」と私があやまると、「いいのよ。ちゃんと理解してるから。」と言ってくれた。最初の印象で、人のことを決めつけるもんじゃないな、と反省した。

Oちゃんは特定難病になってる持病もちである。詳しい病名は教えてくれなかったが、回復することはなく、徐々に病状が進んで自力で体を動かすことが出来なくなるのだそうだ。最後は寝たきりになる。今は強い痛み止めさえ飲んでいれば普通の生活が出来るし、具合が悪いわけではないので、大丈夫、と。

「患者数も少ないの。私が発症したのは30代の頃で、そんな若い患者も稀だったみたい。娘がまだ小さかったし、医者から告知された日は、帰りに車ぶつけちゃって。車を潰してしまったの。それくらいショックだった。」
「夜も眠れなくなり、心も病んで。そんな時、同居していた姑が『大丈夫だよ。私たちがついてるから。』と言ってくれて。姑が私の心の支えだったの。だから、数年前に亡くなった時は本当に悲しかった。」

世の中に、嫁姑がいがみ合う話は多いけれど、Oちゃんのお姑さんは本当に思いやりがあって優しい人だったようだ。いや、Oちゃんが優しいからこそ、お姑さんもそのようになったのかも知れない。

よく知らなかった頃、(自分の家族の話ばっかりするのね。他に話題はないのかしら?)なんて意地悪く思っていた私。大学院生の一人娘さんもOちゃんとしょっ中一緒みたいなので、(いまだに母親べったり?自立しなくて大丈夫なの?)と思っていたが。「夫も娘も、私が一人で動けなくなったら、『オレたちがちゃんと面倒見るから心配するな』って言ってくれてるの。」ということらしく、家族の絆の深さに感心である。

「病気がわかってから、お金に対する執着もなくなったの。自分で動けるうちに、楽しいことをたくさんしたい、美味しいものを食べに行きたい、と思って。」とOちゃん。キラキラしてる。「死への恐怖もものすごかったけど、今は克服したの。もう覚悟は出来てるから大丈夫。」

Oちゃんが入社したての頃、私は意地悪だったなぁ。姑根性というか。じっくりじっくり付き合ってみて、その人本来の良さがわかることもあるんだなぁ。でも、見えないところで一生懸命努力して、それがちゃんと認められるってすごいな。

自分のつまらない価値観や先入観で人を見てはいけないのよね。Oちゃんのお陰で遅番の人間関係は良好である。辞めていく人は多いけれど、私もまだまだ頑張れそうだ。