rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父・復活!

31日、いとこから聞いた話では、抗がん剤にすっかりやられて弱りまくっている父を想像していたが、1日に私が会いに行くと意外と元気、というか元気が出始めてきた所だった。

個室なのでシーンと静まり返っている。感染予防のための空気清浄機の音だけ。「おう、来たか。」と父。げっそりしてはいるが、少しニコッとほほ笑んでくれた。

「死ぬかと思った。抗がん剤があんなに苦しいものだとは。あんなに切ない思いをしたのは人生80年で初めてだ。」「28日から丸4日間、何も食べられなかった。ごはんの匂いだけでムカムカして気持ち悪くて。吐き気はすごいのに吐けなくて。人生80年でこんなに食べられなかったことは初めてだ。」「昨日と一昨日はベッドから起き上がることも出来なかった。友人が見舞いに来てくれたが、一番苦しんでいるところを見られてしまった。」

父はお腹がすくとイライラするタイプなので、人生80年の中で“ごはんが食べられない”という経験がほとんどなかったのだ。胃潰瘍で入院したことはあるが、その時でもこんなことはなかったそうだ。

「今朝はようやく少し水分が摂れたよ。」と、私が行ってからゼリーを食べたり、缶コーヒー(なぜか飲みたいらしい)を飲んだり。

個室だったので周囲に気兼ねすることもなく、1日中父と二人で他愛もないことを喋っていた。気持ちが元気になって来たのがわかって、うれしかった。

白血球の数も960まで下がったのが2500くらいに回復したのだそうだ。良かった。ヒゲを剃る気にもシャワーを浴びる気にもなれず、新聞もテレビも興味なし、という状態から抜け出したくなった様子。

2日には「元気になられたので、個室からまた大部屋に移動しましょう。」となり、看護助手さんにシャンプーしてもらい、シャワーのお手伝いもしてもらって、見た目もスッキリ。食事も出されたお粥を全部食べるようになった。時おり笑顔もこぼれる。「この病院、食事がまずいな。他の病院に入院した時はもっとおいしかったのに。」なんてことまで言っていた。

今日、3日。友人が3人お見舞いに来てくれた。ベッドに座って「抗がん剤で死ぬかと思ったよ。」と笑いながら話してた。今までの衰弱ぶりでは考えられなかったことだ。

「もう抗がん剤は懲りたでしょ?やめるの?」と聞いたら、「なに言ってるんだ、もちろんやるよ。」と父。そのファイトはどこから湧いてくるのか?

「あと2年、せめてあと1年くらいは生きていたいな。」とポツリ。「お前、今日は早めに帰りなさい。オレはちょっと病院内を歩いてみるよ。入院以来、ずっとベッドにいてほとんど歩いてないから。歩かないと!」と父。すごい。生きることをあきらめてないのだ。

昨夜、主治医が回診に来てくれた時、抗がん剤の量を減らすことなど検討してみると言ってくれたそうだ。

「でも、いよいよ治療方法がなくなったら、ホスピスもいいよな。ホスピスに入りたい。」と父。父の一番上の姉の夫は肺がんで、最後は市内のホスピスで亡くなったのだそうだ。ほとんど苦しまずに逝けて施設も良い所だったらしい。いとこの話では「あそこは入りたい人が殺到していて順番待ちなのよ。なかなか入れないの。」とか。クリスチャンでなくても入れるのだが、入るのが難しいらしい。

「これからは終末医療や緩和ケアの方が重要な時代になるのに、どうして受け入れてくれる所が少ないんだろう?」と父は不満顔だった。

そんなことも、ああだこうだ言えるくらい元気回復。ちょっとほっとして明日は自宅に帰ろう。