rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

抗がん剤・父の場合

80才の父が抗がん剤を投与されたのが8月21日。それ以降、ほぼ毎日見舞いに行ってくれているいとこに聞くと、「おじちゃんはすごく元気だよ。食欲もあるよ。」とのことだったので、この2、3日すっかり油断していた。

父の病院に行くため新幹線に乗ったところにいとこから電話。実家に付いてから掛け直した。

「実はおじちゃん、抗がん剤の副作用がひどいのよ。この3日間くらいほとんど何も食べてないし、水分も摂れないの。みるみる痩せてしまって。弱ってきてるから、昨日の午後から個室に移ったの。それを連絡しなきゃと思って。」

「医師の話では、完全に抗がん剤に負けてしまったんだね、と。でも、元気だったのにね。吐き気がしてムカムカして気持ち悪くて、でも吐けないの。すごく辛かったみたいで、もう抗がん剤はやらないって言ってるの。こんな苦しい思いをするくらいなら死んだほうがマシだ、自殺したいって。」

「もう抗がん剤じゃなくて、違う治療にしてくれ、って言ってたよ。もう死んでもいい、みたいな。」

日ごろ我慢強い父がそこまで言うのだから、よほど苦しかったに違いない。そこまで体を弱らせてまでやる必要はあるのだろうか?元気で体力もありそうだったが、やはり80才。辛い思いをさせてしまった。

いとこは、「そんなこと言わないで。副作用はあと数日で落ち着いてくるはずだから。また頑張ろうよ。2回目と3回目もあるよ。治療した方がいいよ。」と励ましてくれたそうだが、父は頑として譲らず。「抗がん剤はもういい。」「こんなのやったって、治るわけじゃないんだし。もういいよ。」と。

いとこから「25日頃だったかな。血尿も出たのよ。トイレに行ったら目で見てわかるくらいの血尿が出たんだって。」という話も聞いた。衝撃だった。心配かけまいとして、私には言わなかったのか。

いとこと結構長いこと話し込んで、電話を切った。なかなか厳しい状況だと思う。夫と息子たちにも連絡し、それぞれが日程を調整して会いに行くことにした。

今日は移動だけで遅くなってしまったので、実家のの居間を大掃除した。父はガン宣告後は痛みに耐えて必死に過ごしていたようで、あちこちホコリだらけでモノも散らかっていたので、気になったのだ。

すると、こんな本が出てきた。

緩和ケア医が見つめた「いのち」の物語 堀 泰祐 飛鳥新社

なるほど。ちゃんと緩和ケアについて調べていたのだ。父らしいな、と思った。
それが父の望みならば、娘としては最大限の協力をしなければ、と思う。
ガンと闘うとかよりも、共存でいいから苦痛を取り除きたいのだろう。

今回実家に帰って来て驚いたことがある。
父は家庭菜園をやっていて、田舎なのでちょっとした畑になっている。手入れが出来なくなり荒れ放題だったトマトやナスやピーマンが、いつの間にかきれいに手入れされて刈り込まれていたのだ。

誰が?と思っていたら、怪しいサングラスをかけたおじさんが軽トラでやって来た。父の友達のNさんだった。入院前にいろいろ頼まれていたらしい。

「お父さん、いつ退院?」と聞かれ、「医師の話では3か月くらい。」と伝えるとびっくりした様子。抗がん剤でかなり具合悪い、という話も伝えると、「お見舞いに行きたいなー。俺も明日一緒に行っていいかな?」と言ってくれた。しかし、父がかなり具合悪そうなのと、私はほぼ1日行ったきりになることもあり、今回はお断りした。

でも、畑の手入れまで任されてしてくれる、とは。田舎ならではのことだけど、ありがたい。

また自宅で生活出来るくらいに、父には元気になってもらわなくっちゃ。