rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父のこと、弟のこと

弟の葬儀が終わったあと、父の友人Sさんから「rosaさんはいつまでこっちに居られるの?」と聞かれ、「パートの仕事を休んでしまって迷惑かけてるので。あと二、三日は休ませてもらおうと思ってますけど。」と答えると、Sさんはフッと苦笑。「パートだろ?一日働いて貰えるのなんかせいぜい5000円がいいところじゃないの?お父さんの側にいてあげなよ!」と言ってくれた。

言われてハッとした私。今までは仕事、仕事でやって来たけれど、所詮パートである。パートの仕事に代わりはいるけれど、父の娘は私ひとりだ。大切な相棒を突然失ってしまった父のショックは計り知れない。こんな時は何をさておいても側に居てあげたい!

「旦那さんにもお願いしますよ!『私は側にいてあげたいんですけど、旦那がちょっとね〜』とか言わせないように。こんな時はお父さんをしっかり支えてあげて欲しい。」とSさんは夫にも言ってくれた。

Sさんは父の元部下でとても仕事が出来る人である。父が亡くなったら葬儀でSさんに弔辞を述べてもらう約束をしているそうで(!)、全幅の信頼を寄せている人だ。その人に言われたことで、私の中の優先順位が変わってしまった。

これからは父をしっかり支えて行こう!

もともと休みの多いシフトの週だったので、3日間休みをもらうと8日まで休めることになった。8日に帰り9日から仕事に行こうと思っていたら、「もう帰りなさい。7日に車で送っていくから。職場の皆さんにそんなに迷惑かけて居られないだろう。1日早く帰って少しゆっくりするといい。」と父が言ってきた。

「いいよ、私は8日に帰るよ。」と言う私に、「いや、いい。俺だって一人暮らしに慣れないといけない。一緒に旅行に行く仲間に、俺より5才年上で一人暮らししてる先輩もいるし。俺も見習う。あと四、五年は大丈夫だ!」と父。職場への菓子折りを買ってくれて、新幹線の駅まで車で送ってくれた。

お父さん(涙)。これだから、「何とかしてあげたい!」と思っちゃうのよね。とりあえずはマメに電話して、何とか時間を作って会いに行ってあげよう。

田舎なので周囲の人達も気に掛けてくれて、近所の親戚の人たちと携帯の番号を交換して帰って来た。「何かあったらrosaちゃんにすぐ連絡するからね!」らくらくホンを使ってる年代の人達なのだが、心遣いがありがたかった。

☆   ☆   ☆
うちの弟は心優しくおとなしい性質だった。その弟が激昂した場面に遭遇したことがある。

22才くらいの頃。病状が回復してアルバイトをしていた頃だったと思う。遊びに来た伯父(父の姉の夫)が2階の弟の部屋にいきなりやって来て、「お前は生まれ損ないだ!」と言い放ったのだそうだ。

2階でドアや壁をゴンゴン殴ってる音が聞こえてびっくりして行ってみると、鬼のような形相で泣き怒っている弟がいた。

「俺だって好きでこうなったんじゃないのに!!」

怒りが収まるまでしばらく掛かった。怖かった。そんなひどい言葉を発した伯父は、平然と何食わぬ顔をして帰って行った。

この伯父伯母は、たまたま子供たちの出来が良く順調な人生を歩んでいたばかりに、妙なエリート意識に凝り固まって、あちこちでひどいことを言い放って怒らせたりしていたが、本人たちに自覚はない様子だ。弟はこの伯父のことをずっと嫌っていた。

現在伯父は90才を超えて認知症になり目が離せない。84才の伯母は施設に入れるのを拒んで自宅で介護をしている。老々介護である。今回、介護をしている方の伯母がひどい腹痛で病院にかかり、弟の葬儀に出席出来なかった。

介護者が倒れたことで、みんなてんやわんやである。長女は94才の姑の介護をしているし、長男のところは嫁の父親も90才を超えて脳梗塞のリハビリで通院中とのこと。長男も長女も秋田にいるのだが、近くにいれば頼れるというものでもないようだ。

死者の霊は四十九日まではこちらに居るらしいので、きっと弟は伯父伯母に会いたくないのだろうな、と思う。

弟にしっかり立ち直って欲しくて、私も以前いろいろ言ったことがあるが、「俺に説教する気か!説教なんか聞きたくない!!」と怒られた。

自分の不甲斐なさは自分が一番良くわかっているのだ。それがどうにも出来ないから苦しいのである。「生まれ損ない」はひどい暴言だ。弟にはどうにも出来ないことではないか。

弟の部屋を片付けていて、手帳やメモもたくさん出てきてチラチラ読んでみたが、ドロドロした暗いものではなく、生活を楽しむ明るさも垣間見えたのがせめてもの救いである。