rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

大変なのは葬儀のあと

休みをもらって実家に行って来た。葬儀の後、初七日が終わって自宅に帰ったものの、事務手続きその他の雑用は手付かずのままだった。

冷たくなった父に対面した時も、葬儀の時も、火葬された時も、私は人前で泣くことが出来なかった。喪主という責任感からなのかずっと気が張っていて、悲しみに浸ることが出来なかったのだ。

地元の駅に降り立った時、(あぁ、いつもは父が車で迎えに来てくれたっけな。)とふと思い出してキュンとなった。誰もいない実家の玄関を開けて、父の遺影の前に座った時、ポロポロと大粒の涙がこぼれた。ようやくおもいっきり泣くことが出来た。

しかし、泣いてる場合じゃない。必要な書類を持って市役所に行かなければ。年金証書がなかなか見つからなくて、とりあえず番号のわかるものを持って行くことにした。

葬儀社の方から「葬儀後の手続き一覧」という便利なものを渡されるのだが、これを見てもイマイチよくわからないことばかりなので、市役所の総合案内の所で「よくわからないので教えてください。」とお願いしたら、次々に必要な書類を出してくれて、書き方を教えてくれた。田舎だから出来ることかも知れないけれど、とても助かった。なんやかやと10枚位も書いただろうか。

保険証の返納、葬祭費の申請手続き、後期高齢者医療受給者証の返納、介護保険証の返納、マイナンバー返納などなど。年金の未支給分受給手続きは、私の自宅近くの年金事務所でやりなさいとのこと。私の住民票や戸籍も必要なのだそうだ。

翌日は父が預けていた金融機関にも解約に行かなければいけないので、役所で戸籍関係の書類をかなり用意した。ただの解約ではなくて相続という扱いになるのでなかなか大変である。

金融機関によって必要な物が若干異なる。戸籍謄本も「婚姻から後のもの」「生まれた時から」「改正前の原戸籍(はらこせき)」「父と私の続柄が記載されてるもの」などなど。除籍謄本も必要だったり。住民票にも、「住民票コードが入ってるもの」「記載が省略されてないもの」「本人のみ」「世帯全部」などなどいろいろあるのだ。

うちの場合は母も弟も亡くなっているので私ひとり。そういう意味では単純なだけ、まだマシなのかも知れない。相続人が多ければ多いほど書類を揃える手間も大変だと思う。1人で全部やらなければいけないのは大変だが、揉め事に巻き込まれることもない。

翌日は金融機関の手続きに走り回り、午後からは電気・水道・ガス・灯油・NTT・クレジットカードなどの名義変更やら解約やら請求先変更やら。

ひととおり終わらせて実家から自宅に戻って来てからは、葬儀社に葬儀代の支払いをしてひとまずヤレヤレ。

そしてまた今日も各種手続きに走り回り、年金事務所での手続きも終わり、ようやくホッと一息。

と、いきたい所だったが。

父は6人姉弟の末っ子長男で、四番目の姉が1人生き残っているのだが、昨夜このおばから私にダメ出しの電話が掛かって来た。

うちの田舎は亡くなってから三十五日を忌明けとする風習がある。年を越すのは特に忌み嫌われ、何事も年内中に納めることを良しとするようだ。

「rosaちゃん、忌明けの法要のことはどうなったの?本家の◯◯さんと◯◯さんにも声掛けて出席してもらわないとダメでしょ!失礼じゃないの。親戚だけでやるなんて、どういうつもり?それと、お父さんから見ていとこに当たる◯◯さんにもお知らせしなくちゃ。仕出し屋を頼むなら絶対◯◯にしなさい。他の所はダメよ!早く予約入れないとダメじゃない。12月なんだから、予約が立て込んでるかもしれないでしょ。私が予約して上げるわよ。」

85歳に怒られた。おばの話は延々と続いて、私にはほぼ無関係な話にまで広がって行く。仏事や親戚付き合いの常識を叩きこもうとしているのだろうか。こういうのでノイローゼになる人の気持もわかるなぁ、と思いつつ、くらーい声で「はぁ」「そうですか」「へぇ」と答えていたが、一向に終わる気配はなかった。

「おばさん、ごめんなさい。私、これから晩ご飯作らないと行けないから。」と言って話を終わらせてもらった。いやはや、疲れた。