rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

弟の死(3)

葬儀での父の喪主挨拶。
「若い頃からの病気(統合失調症)のせいで、息子は付き合いをする友達もいませんでした。自分は友達が多くて多過ぎる方なので、息子のことが可哀想で可哀想で仕方なかった。それが今日、こんなに素晴らしいお花を同級生の皆様からいただき、感謝申し上げます。」
「息子と二人きりの生活は大変仲良く楽しいものでした。辛いことばかり多い人生だったとは思いますが。私もあと残りわずかな人生です。息子の側に行ってまた仲良く一緒に暮らせる日まで、頑張りたいと思います。」

いかんいかん!そんなに早く逝かれては困る。これからは父のお世話をするぞ!と秘かに決意を固めた私だった。

供花は地元に残った同級生の女性が声がけして送ってくれたものらしい。そういえば、弟の学年は丙午年で人数が極端に少なく、でも仲良くまとまってる学年だった。

人生の終わりの方では、ほとんど人付き合いをしなかった弟だが、うちの長男も二男も、ずっと「おじちゃん、おじちゃん」と慕っていて、「おじちゃんは普通に生活するだけでも大変なことなんだと思うよ。」とよき理解者だった。

うちの夫も、いつも優しく接してくれて、パソコンを譲ったり、使い方を教えてくれたりした。葬儀の遺影は夫が持ってきたパソコンの中にあったもの。10年位前、調子良さそうな笑顔の弟だ。

他人から忌み嫌われやすい病気ではあったものの、父や家族には大切にされたと思う。

最近父の体調が悪いと聞いて、もし父に何かあったら弟のことはどうしたら良いものか?と気になっていた。それをこれから本気で調べよう、と思っていた矢先の死だった。

親より先に逝ってしまうのは逆縁だが、死に方としては立派だ。「こう言ったらなんだけど、理想的な死に方だよね。羨ましい。」と何人からも言われた。

ほとんど苦しまず、眠ったまま逝ってしまったのだろう。「うちの親父もそうだったんですよ。いい死に方ですよ。」と言ってくれた人もいた。

弟のことは私の人生の大きな宿題だと思っていた。それがいきなりポロン!と取れてしまった感じ。これからは父のお世話一本に邁進出来る。

弟の最後の親孝行だったのか?でも居なくなると寂しいものである。

父の事をすごく周囲が心配してるので、仕事を休んで少し実家にいることにした。運よくシフトの休みが多い週に当たってた。

今回、夏休みに入ったばかりの長男が一番早く駆け付け、二男もすぐ夏休みだったし、夫の仕事も忙しくない時期で助かった。