rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

年の初めに

喪中につき新年のご挨拶は遠慮させていただきますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年は、父のことで大変な1年でしたが、ブログを通してたくさんの方に支えていただきました。
どうもありがとうございました。

年末年始は大忙し。
職場の準社員Rさんのご主人が出張先で大怪我をして入院。全治3ヵ月とのことで転院も出来ず、2歳の末っ子連れでRさんはご主人の病院へ。仕事はしばらくお休み。そんな所へパートのYさんのご主人も緊急入院。さらにパートのOさんはノロウィルスでダウン。

うそでしょー?と言うくらい忙しいのに人手が足りず、29、30日ともかなりの残業。私の休みは31日だけ。元旦も2日も仕事だった。

31日の朝、夫が「今日は家の中をスッキリ片付けたい。判断に困るものがあるから、見て欲しい。」と言うので行ってみたら、ほとんどが二男のものだった。長男の部屋が物置代わりになってて片付いてないのは知っていたが、「でも勝手に捨てるわけにはいかないでしょ?二男はまだ寝てるから、二男に聞いてからにした方がいいよ。」との私の言葉に夫がキレた。「そんなこと言ってるからいつまでも片付かないんだ!!」いやもう、すごい形相で怒鳴られたので私も負けずに応酬した。

「片付けの鉄則はまず自分のものからでしょう?なんで人のものも勝手に捨てようとするの?」

夫婦喧嘩勃発。
隣の部屋で寝ていた二男もビックリして目を覚ましたらしい。後で起きてきて「お母さん、ごめん。オレが散らかしていたせいで。」と言って来た。涙ぐんでいた。二男は片付けは得意な方なのだが、大学の卒業研究で忙しく、ここの所帰って来るのは毎日夜遅くだった。ひと段落ついてから片付けるつもりで放置していたのだ。

夫の不満爆発。
「この家にはオレの居場所がない。母親と息子たちで関係性が出来上がってしまっている。オレなんか居ても居なくても同じだ。単身赴任でこんなに頑張ってるのに。もしこっちに戻れたとしても、あんな状態では部屋も使えない!」

長男の置いて行ったものもそのまま、というのも許せないらしい。しかし、モノが多いのは実は夫の荷物なのだ。札幌に単身赴任していた頃、部屋が広くて荷物がかなり増えた。その後、東京に転勤になり部屋が狭くて入らないから、と自宅の方に大量に送ってきてそのままになっていたのだ。

片付けをする時にモメる夫婦は多いらしい。以前の夫婦喧嘩も「よし、今日は片付けるぞ!」と夫が突然言い出した時に、それにうまく乗れなかったことが原因で勃発、ということが多かった。そこから学んで、夫に何か言われた時には何をさておいても第一優先でやって来ていたのだが、昨年は8月からずっと父のもとに通っていたので、まったくそんな余裕がなかった。

「ずっと父の所に行っていたし、葬儀の後も忙しかったから、家の中はひどい状態で散らかってるよ。1月に入ったら片付けるから。」と夫には何度も言い、「おう、分かったよ。」とも言ってくれていたのに。それでもやはりキレるのだ。

マジでブログを書く時間も捻出出来なかったし、仕事をこなすので精一杯で、必要最小限のことだけでなんとか回していたような状態だった。

単身赴任中の夫は、たまに自宅に帰って来てもまったくゆっくり出来ず、虚しさを感じていたらしい。私は私で、全て一人で何とかしないといけない状況だったので、いっぱいいっぱいだった。

「もう耐えられない、出て行く!!」「おう、出て行け!!」とまで言い合った。夫は最初に怒ったのは私で、私が悪いと言う。そこでおとなしく引き下がれないのが私。出て行くのは阻止されたが、悔しくて悔しくて泣きながら片付けをした。

どよよよよ〜んと落ち込んだ気分で迎えた新年だった。こんな最悪な年末年始は初めてかも知れない。

元旦。
仕事から帰ったら、夫が優しくなっていた。「仕事、頑張り過ぎなんだよ。遅番で大変じゃないか?早番のパートを捜した方が良くないか?これじゃ、スレ違い夫婦だよ。」「今日は外食しよう。少し休むといいよ。」と。夫婦関係改善に乗り出した。

弟が亡くなり父一人になり、その父も末期癌闘病の末に亡くなった。この一年半は私は実家のことで手一杯だった。夫の実家(北海道)へはしばらく行ってない。「今年こそは行くぞ。でも、そのパート先じゃ、ゆっくり休みも取れないだろう。」と夫。弟の三回忌、父の一周忌、空き家になった実家の片付けや手入れなどなど、私は今年もまだまだ忙しいのだ。夫の希望に添えるかどうかわからない。

一応はひどい状態から改善はしたものの、まだまだ問題は山積。年末年始にこんなことでガックリ。

まだまだ人間修行が足りない、こんな私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。