rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

憎まれっ子、世にはばかる

伯母(父の姉)が亡くなった。90才、直腸がんだったそうだ。昨日火葬を終え、今日のお葬式とのこと。今朝、父から電話で知らされた。

あちこちに長電話して1時間も2時間もおしゃべりするので、相手をする方はたまったもんじゃない、という話を聞いていた。トラブルメーカーで他人から好かれない人だった。それが、正月過ぎからはパタリと電話もしなくなり、相手をしていた人たちも心配していたとのこと。

下痢が続いたりして体調がおかしかったので病院で調べてもらうと、直腸がんだった。その後、腹膜炎も起こし、便秘もひどくなったので、手術して人工肛門を付けたとのこと。がんは他の所にも転移していたらしい。

「誰にも教えなくていい。身内にも連絡するな。」と伯母に言われ、家族だけで世話をしていたのだそうだ。

父から話を聞いて、「90才でも手術して人工肛門付けるの?」とびっくりした。その年令で手術に耐えうる体力というのもすごいが、まだ生きようという意欲が衰えなかったのだろうか。自分だったら、そのまま死なせてほしいと思ってしまいそうなものだが、どうなんだろう?最後まで看取った家族はどんな思いだったのか。

私の父は今月で79才になる。6人姉弟の末っ子だが、残っているのは3番目の姉と父だけである。伯母への電報を打ちながら、複雑な心境になった。

伯母の家と実家は80mくらいの距離だった。しょっ中家に来て、ガミガミうるさく言う典型的な小姑だった。母はよく泣かされていたし、どこに行ってもトラブルメーカーで、私は好きになれなかった。祖父母同居だったので、伯母も強い態度に出られたわけである。

私が高校生の頃、伯父が亡くなった。伯母は一人暮らしの寂しさに耐え切れず、嫁に行った娘の所に転がり込んだ。そのまま現在に至る。お婿さんは同居でストレス満載だったらしく、あちこちで不満をぶちまけていた。うちの亡くなった母は、「ああいうカラ元気な人って、1人でいるのに耐えられないのよ。いざとなると弱いんだよ。」とよく言っていたものである。

伯母と最後に会ったのは、うちの母の葬式と法要の時だった。もう13年くらい経ってしまっただろうか。あの時も台所関係を誰が仕切るかで揉めに揉めて、親族の集まりのたびにピリピリしていた。何かしらイベントがあるたびに揉め事も起きるというパターンは、伯母が生きている間、変ることはなかった。年齢とともに多少は丸くなったようだが、本質的には変わらなかった。

自分も50才を過ぎると、いろいろな人の人生の最後までを見聞きすることになり、複雑な心境になるが、周りの人たちにあまり迷惑を掛けずに、気持良く生きていきたいものだな、と思う。