rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

遅ればせながら、今年もよろしくお願いします!

\(*^ー^)/*【祝・謹賀新年】*\(^ー^*)/
今年も良い1年になりますように。

年末の仕事は29日で終了。次男のバイトが30日まであったので、秋田の私の実家へは31日に夫と3人で行って年越しをして、元旦に帰って来た。正月とはいうものの、私は2日と3日は仕事だったのであまりゆっくりもしてられなかった。

今年の冬は大雪で寒さも厳しく、大晦日から元日にかけては大荒れとの予報だった。「高速道路でしょっちゅう事故が起きてるし、心配だから無理して来なくてもいいぞ。雪道の運転は疲れるし大変だ。」なんて父は言っていたのだが、「まさかそんなわけにも行かないよ〜。なかなか家族揃って行けないのに。」と半ば強引に押しかけた。

「お義父さん、ウチが行く事を快く思っていないんじゃない?」と夫は心配そう。「そんなことないと思うよ。多分、支度したり掃除したりが億劫になったのね。今年は寒さもひどくて動きたくもないんじゃないかな。」となだめる(?)私。父はそんなに面倒臭い人間ではないのだ。

「実家で何かあった時には、1人で高速を運転して駆けつけなきゃ行けないこともあるかも知れない。慣れるためにも今回はちゃんと運転した方がいい。」と夫が言うので、しぶしぶ途中まで(少しだけ)運転した。やってみたら意外に何とか出来たけど、私は高速での運転は苦手だ。方向音痴だし。

秋田(と言っても県北)に入ってからは横殴りの吹雪で真っ白になり、本当に怖かった。雪道で凍っていた箇所もあった。私達が通った10分後くらいに玉突き事故も起きたようだった。「冬道の高速道路は母ちゃんには無理だな〜。」と夫。本当にそうだ。実家で何かあったとしても、駆けつけるのはかなり大変なことである。夫は単身赴任だし。JRだの高速バスだのを利用したとしても、かなり辺鄙で交通の便が悪い所なのだ。

無事に実家に到着し、みんなでご馳走を食べてお酒を飲みながらワイワイ喋っていた時に、父がこんなことをポツリと言った。
「ときどき、飯を作ったり、食料品の買い出しにスーパーに出掛けたりするのが、ものすごく億劫になるんだよ。金が有り余るほどあったら、有料老人ホームみたいなのもいいと思うな。都会の便利な所にあって、食事の心配もしなくていいし、たまにはスナックに飲みに行ったりも自由だそうだな。」

老後は便利な都会のマンションのような所で悠々自適に。そんな話を親戚の人達としていたこともあったっけ。父は今77歳。父の親(祖父母)は2人とも88歳のお祝いをしてから穏やかに亡くなった。「オレもあと10年くらいは生きるとしたら・・・といろいろ考えるんだよ。昨年末は前立腺がんの疑いがあって(結果はがんではなかったけど)、田んぼも全部売っ払ったし、少し身の回りの整理もしたしな。」となかなか現実的な話である。

「そういう所って、どうなんだろうね?私もよく知らないから調べてみるね。」と返事はしたものの、それ以上話を進めることは出来なかった。父は病気があって働けない弟と二人暮らし。父の年金で暮らしている現状で、弟のことをどうするか?というのもまた難しい問題なのである。


帰りの車中、夫の方から切り出してくれた。
「親父さんのこと、後回しにしないで早く考えて準備してあげた方がいいよ。うちの近くで家を買うなり借りるなりするか、有料老人ホームを調べるか。近くに来てもらって面倒見るのは全然構わないから。早く何とかしてあげよう。◯◯(弟)のことも、あのまま田舎で引きこもっているより、都会に出した方が、何かちょっとした仕事なり、社会との関わりとか、出来るんじゃないか?」
ありがたい言葉だった。不出来な弟のことまで考えてくれていたようだ。まだまったく何のイメージも湧かないが、今年はこんなことにも逃げずに立ち向かっていこう、と思えた。

子どもたちが成人し、自分の足で歩き始めた今、逆に親のサポートの方に気持ちが向くようになったのかな?男の子だし、子供は自分から離して行かないと・・・と強く思うのだ。

独身を貫く人も、子供さんがいなくて夫婦ふたりの方もいらっしゃるが、子供が大きくなればそれほど違いもないのかな?とも思う。最後は“おひとりさまの老後”かも知れないし。

現実的な問題に直面した、一年の始めだった。