rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

「アスペルガーですが、妻で母で社長です。」を読んだ

アズ直子さんの「アスペルガーですが、妻で母で社長です。」(大和出版)という本が今とても売れているらしい。

部屋の片付けがまったく出来ず、大切なものを失くしやすく、手続きなどの雑用が苦手な長男のことで、また最近心配ごとがいろいろ出てきて、調べているうちにこの本を見つけた。

著者のアズ直子さんは、2009年に医師から「ADD(注意欠陥障害)の傾向の強いアスペルガー症候群」との診断を受けた。それまでの人生はあまりにも辛いことばかりで、診断を受けてからのほうが「安堵」と「希望」を感じ、精神的にラクになったのだそうだ。

独特の“生きにくさ”は生まれつき脳の発達が偏っていることが原因だった。コミュニケーションがうまく取れない、片付けられない、しょっ中ものを失くして探してばかりいる・・・etc。アスペルガー症候群発達障害の中のひとつと言われている。

家族とも周りの人達ともぶつかってばかりの日々に疲れ果て、うまくやっていくために編み出した“30のルール”。ルール化したお陰で大分生きやすくなったのだそうだ。

アズ直子さんが、これまでの苦悩に満ちた人生を赤裸々にさらけ出し、試行錯誤しながら創意工夫して対処法を示してくれたお陰で、周囲の人達の認知も深まり、発達障害を抱えた人達もラクに生きられるようになると思う。その勇気と行動力!素晴らしい社会貢献だ。心から感謝したい。

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6月にひとり暮らしの長男(大学三年生)のアパートを突撃訪問した夫は、その惨状に絶句した。あまりの凄さに思わず写真を撮り、
「写真を撮ったことは◯◯には絶対ナイショだぞ。見るか?見たいか?すごいぞ。びっくりするなよ。」と私に見せてくれたが、
「んっ?あまり驚いていないな。」と拍子抜けしていた。
「当たり前だよ。長男の部屋は高校生の頃からこんな感じだったよ。別に驚かないわ〜。」と私。まあ、いつもどおりだ。
「えーっ、まるで泥棒が入ったあとみたいだったよ?信じられん!」と夫。
単身赴任していた夫には未知の世界だったのだ。

ものすごい量の本を読み、ものすごい量の参考書や問題集をこなして、高校から配られるプリントの量も半端無く、脱いだ服はその辺に散乱してる。いつもいろいろなことに興味があって、調べたり文章を書いたり。片付けようという気がないのだから散らかる一方だった。あの頃は、私が休みの日に一生懸命片付けていたのだ。

長男は医師の診断を受けてはいないので、この本を読んで、「あら、うちの長男も似てる」と思ったのは私の主観であり、まったくのシロウト診断である。ADDの傾向はあると思うし、アスペルガーっぽいのかも知れないが、それほどひどくはないのかも、とも思う。たくさんの人達に囲まれ、楽しそうにコミュニケーションをとりながら、仕事もちゃんとやれているようなので。紛失物は多いけど。


長男は言葉の発達が遅い子供だった。
保健所の健診で専門家の指摘を受け、児童相談所に通ったり、言葉の発達相談室に通ったり。第一子なのにうまくいかないことばかりだった。翌年、次男が生まれてから、(順調な子育てってこういうことなのか。)と初めてわかった。次男は反応が良くていつもニコニコと機嫌が良く、言葉の獲得も早く、しっかりした子供だった。

長男はいつも“グレーゾーン”。
「健常児の中に入れると発達の遅れが目立つのに、障害児の中に入れると、どこが障害児?って感じになるんですよ。」と専門家に言われていた。

幼稚園は“障害児でも受け入れてくれるカトリックの幼稚園”の面接を受けに行った。すると、貼ってあった日本地図をみていきなり、「北海道!」と指さしたので、「あら〜、障害児じゃなくて、普通入園で大丈夫ですよ。」と園長先生に言われたのだった。言葉は遅かったのに、難しい漢字などを覚えるのは早かった。最初はボケーっとしていたのに、入園後は大分しっかりした子供に変わっていった。

そんな長男だから、“発達障害”なんて言葉もなんか懐かしいような感じがする。あんなに言葉が遅かったのに、今では人前でスピーチするのも得意でおしゃべりである。(心臓に毛も生えてるし)

小さい頃から“変わった子”と言われ、いつも波瀾万丈である。生涯の伴侶をちゃんと見つけるまでは、私が一番の応援団長でいてあげなきゃ!と思う。