先日、こちらのChikirinさんのブログを読んでいて、ふと思った。
「兄と奏でるノクターン」という韓国のドキュメンタリー番組。発達障害の長男、全面的に支える母親、反発しながら自立しようともがく次男。
それぞれに思いをぶつけ合いながらも、家族として向き合っていく。なんか、すっごい揉めたんだろうな、と目に浮かぶようで。それでも、諦めずに模索して行くようで。
ハッとした。
「揉めたっていいじゃない。」そんな言葉が頭に浮かんで来た。
意見の対立、感情の行き違い。いろいろあっても、最終的に笑顔になれれば、それで良いのかも知れない。
職場では揉め事も日常茶飯事だ。パートのAさんが仕事上のことやシフトのことで、社員Bさんに反論したりして、陰では若干ざわついていた。
それが最近では、二人ともニコニコ雑談して笑ったりしてるし。
Aさんが直接意見するなんて珍しいことだったが、彼女にとっては変化の第一歩だったのかも、と思えた。
表面上の平和だけを求めてたら、成長はないのだな。
「ここの所、しばらく夫とも喧嘩してないな。」と思っていたら、かなり久しぶりに勃発した。
実に実に些細なことである。
うちの夫は、「物の置き場所やしまい方」「自分の座る場所、周辺の環境」等に対するこだわりが強い。なので、「私はどうでも良いよ。別にこだわらないから。」という姿勢を貫いているのだが、それでも怒られる。
今回はリビングテーブルの座る場所についてだった。自分がいつも座る場所が一番ひどい。寒いし使いづらいしテレビも見にくい。私ばかりいつも一番良い場所に座ってる!という言いがかりである。
いやいや、だから前回の喧嘩の時に場所を変えたのに、「パソコンのモニターを使いたいから、やっぱりこっち側にしてくれ。」と言われて、そうしただけなのに。
私は怒った!もう、ムカついてムカついて。せっかくの休日が不快な一日になってしまったのよ。
翌日は朝の家事を超特急で済ませ、「私は今日1日、○○(次男)の部屋で過ごすから!」と、次男の部屋で優雅に過ごしていた。
すると、「おーい、コーヒー飲まないか。」と夫がコーヒーを持って来た。「この部屋、なかなか居心地良いだろ?テレビも置いたし、パソコンも使っていいよ。」と、何かと話しかけて来る。「昼飯、どうする?どこかに食べに行こうか?」となって、外出した。
そうなのだ。うちの夫は仲直りが超絶うまいのだ。また、やられた〜。こんな調子で30年...。喧嘩した日は、二人とも腹の虫の居所が悪かったのだ。たまには揉めたっていいのよね。それもまたコミュニケーション。