rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

田中好子さん(スーちゃん)の乳がん死に思う

乳がん闘病19年”なんてまったく知らなかったので、朝のニュースを見てびっくりした。元気でいかにも健康そうなスーちゃんが、乳がんだったなんて。

テレビ朝日の昼のワイドショーに、ナグモクリニックの南雲吉則医師が出演してコメントしていた。

両側乳癌だったのだろうか。結婚の翌年、36歳の時に乳がんと診断され、4回の局所再発をして、その度に手術(温存?)されたのだそうだ。

「4回の局所再発は、一回の死に匹敵すると言われています。全摘して再建、という道は考えなかったのでしょうか。」と、南雲医師はコメントしていた。

「今では治療法も進み、乳がんは十中八九治る病気です。80〜90%の人は助かる。なのに、もったいないです。」とも。

ミヤネ屋に電話で出演した医師は、「かなり早期に発見された乳がんで、その度に手術で摘出していたらしいです。転移、再発しやすいタイプだったのではないか。」というようなことを言ってたように思う。(私の記憶違いでなければ)

あら、私のようなタイプ?と思った。悪性度が高かったのか。

有名人が乳がんで亡くなる、というニュースは、ここしばらく聞いたことがなかった。しばしテレビに見入って、いろいろ考えて、気がつけば泣いていた。

私の個人的な感想としては、まず、「見事な立派な生き様だった。素晴らしい。」と思った。19年もの間、生きるか死ぬかの問題を抱えていたというのに、周囲にさとられることもなく、明るく気持ちよく生きて、しかも、仕事であれだけの業績をちゃんと残した。社会活動にも熱心だった。

お見事である。立派である。

こ本人は、ちゃんと生ききって旅立たれたと思う。周囲で支え続けた、ご主人や家族、友人たちは辛いと思うけど。愛されて見送られて幸せなのではないかな。

昨日は、18時から、東日本大震災津波に飲まれて亡くなられた、友人のご主人のお通夜に行って来た。

最後に生前のお写真がスライドで映されると、斎場は涙でいっぱいになった。「俺は大丈夫。渋滞して動けない。」という友人へのメールが、最後のメッセージになったのだそうだ。

家族の元へ帰りたかったことだろう。普通に仕事に出掛けて、普通に帰るつもりだったのに、予期せぬ天災に遭遇して命を落としてしまった。

遺体発見当時、身に着けていたものは、小銭とハンカチと携帯電話。携帯には、息子さんが修学旅行(沖縄)のお土産にあげた、シーサーのついた黄色いストラップがついていた。子煩悩なご主人はとても喜び、こわれる度にアロンアルファで修理して使っていたのだという。そのストラップが目印になって、ご遺体を発見することが出来たのだそうだ。

1人息子さんは、うちの次男の友達でもある。入学式のたびに家族揃って撮った写真が飾られていた。本当に子煩悩で、仲良し家族で、どこに行くにも3人一緒だったのに。54歳。まだまだやりたいことがたくさんあっただろうに。本当にもったいない。

ある程度、予測して準備していく死と、病気でもないのに、突発的に訪れてしまう死。

どちらがどうなのか。私なら準備出来るほうがまだいいような気もするな、などといろいろ考えた。急激に持って行かれる死は大変である。