小林麻央さんが亡くなられて、「毎日ブログ読んでたから、本当にショックだった」「追悼番組を観て号泣した」「麻央さんには元気に復帰してもらいたかった」などなど、私の周囲でも悲しんでる人が多かった。
小林麻央さんの与えた影響は大きい。それはきっと「まるで天使のような人だった」という人柄からなのかも知れない。良く出来た人だったのだと思う。
私は麻央さんのAmebaブログは直接拝見していなかった。なのでニュースで報道された程度のことしか知らない。追悼番組は興味を持って拝見したが、号泣はしなかった。あれ?私って冷たい人間?とふと思うくらい、冷静だった。
有名人が乳がんで亡くなり、ニュース等で報道され、なんだか心がザワつく。そういうことを何度か経験したので、「いたずらに感情移入し過ぎないようにしよう」と、自分でセーブするようになってしまった。
「乳がんって怖いわね。あんなに早く進行して、あっという間に死に至るなんて。若年性乳がんだから?」という人が周囲に多かった。
「いやいや。乳がんとひと口に言っても、いろいろタイプがあって治療法も異なるし。」と話すのだが、なかなか理解してもらえない。マスコミが騒ぎ立てるのと、現場で感じるものとは距離感がある、と思ってしまう。
私の周囲の乳がん患者はほとんど元気に生きてるし、再発したとしても治療の選択肢もいろいろあるようだ。十年生存率だって90%くらいだったはず。そんなに簡単に死んでたまるか!と思う。
ネットでこんな記事を見つけた。
わたしは今から10年前、29歳の時に左の乳房に約3cmの腫瘍が2つあるのが見つかった。9ヵ月前に父を肝臓がんで亡くしたばかりのタイミングだった。診断はステージⅡb期、5年以内の再発率は40%。温存手術は不可。脇に若干の転移が認められ進行している。
治療は半年の抗がん剤、左乳房全摘出手術、その後5年のホルモン治療。医師からはただ淡々と説明された。家族を呼べとも言われず、たった1人で告知を受けた。あれ?なんか、テレビと違う。相応のショックを受けながら、そんな風にも思った。
没頭できる仕事があったのは、実際に功を奏した。抗がん剤とハーセプチンの投与で、2つあった腫瘍が消失したのだ。これは主治医も驚いて、急きょ、全摘出の予定だった手術は温存手術に変更になった。
しかし、胸を残せる!と小躍りしたのも、つかの間。術式が変わったことで、治療も大きく変更に。放射線治療が追加され、ホルモン治療に加えて1年間のハーセプチンの投与が決まった。
29歳で乳がんが見つかって10年、5年再発率と5年生存率を超え、わたしは先日40歳になった。近頃職場では若き老害として煙たがられながらも、まだまだ新人には負けないわよ! と意気込み、文字通り新人に負けず劣らずの頻度で先輩に怒られている。
そして2年前、出会って3回目でプロポーズしてくれた世にも奇特な男性と結婚した。かつてあれほどわたしの生活の中心にあったがんは、今はもう見る影もない。がんになったことはわたしの人生の一部だけれど、がんはわたしの全てではない。
5年の治療が終わった後、客室乗務員として空を飛んだり、結婚したりしましたよ。得たものも失ったものもあるけれど、なにも終わらなかったですよ――。
それは全て結果論で、日本に数万人いる若年性乳がん患者の中のたった1人の恥多き経験談だ。役に立つようなものじゃないだろう。ただバイアスがかかりがちな日本の報道の中で、本来多様なはずの一事例として誰かに笑ってもらいたくて、わたしは今日も散文を綴っている。
松さや香さんは現在40歳。29歳で若年性乳がんに罹った。高額な治療費に苦しみ、家族とぶつかったり彼氏に浮気されたりしながらも、国際線客室乗務員になり、現在も働いている。
麻央さんのように周囲の人たちから厚く手助けをしてもらえる人ばかりではないのだ。一人で立ち向かわざるを得ない人も多い。
パートの仕事をしながら抗がん剤治療をしていた私は、「ウッソー。マジで?」と患者仲間にもびっくりされたが、出来ないことでもない。「やらねばならぬ」と思えば、何とかなるものである。
今現在、治療中のみなさん。頑張って!