rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

身近な被災死

「rosaさん知ってる?Kさんのご主人が震災で亡くなった、って。岩沼の実家のお母さんを助けに行く途中、津波に飲まれてしまったらしいのよ。1ヵ月くらい行方不明で捜していたらしいよ。私も聞いたばっかりで。6日にわかったらしいよ。」

12日の朝、職場に着くなりOさんから言われて、私も心底びっくりした。私の住む町は今回ひどい被害を受けた地域からは遠く離れていて高台にある。近所で亡くなった人の話もまったく聞かなかったので、大丈夫だろうと思っていたのだ。

Kさんとはご近所で、うちの次男と息子さんは友達だし、Kさんと私は地区の子ども会役員を一緒に務めた縁で、よく一緒にランチを食べに行ったりしていた。明るくて笑いのツボを心得ていて、一緒に居てとても楽しい人だ。ダンナ様とのやりとりも、掛け合い漫才のようで、仲の良いご夫婦&家族だった。

ダンナ様はきさくに話しかけてくれる人で、顔を合わせる機会が多かった。数年前、私が近所をウォーキングしている時も、Kさん宅がコース内にあったので、いつもにこやかに話し掛けてくれた。

そんなKさんのご主人が・・・まさか。

この1ヵ月ほど、「水道出てる?」「ガスはいつ復旧?」「ガソリンはどう?」などなど、京都避難中にメールで教えてもらっていたのもKさん。全然いつもと変わらない態度で、想像もつかなかった。(後でものすごく反省。こちらから気づいて声を掛けていれば・・・。)

急いで友人Hさん、Aさんにメール&電話。野球部つながりのGさんにもメール。Gさんから詳しい情報をいろいろ教えてもらって助かった。

13日の午後5時頃。Hさん、Aさんと3人でKさん宅に伺ったが留守だった。Kさんの実妹さん宅で聞くと、「今日、火葬なので2時間くらいで帰るそうです。」と留守番の子供たちの返事。3人で時間を潰して、もう一度訪問。少し待っていたら車が着いた。

「今、火葬から帰った所なの。もう、信じられなくて。まるで夢を見てるみたい。」というKさんは気丈に振舞っていた。でも、お骨を持ってる息子くんは涙を流していた。

「親を亡くすより辛いよ。夫を亡くすということが、こんなに辛いものだとは思わなかった!翼が半分もがれたような気分・・・と思ったけど、そんなんじゃない。両方もがれたような感じ。私はダンナ頼りで生きてきたからさ。どうしよう。」

「ただ一生懸命生きてきただけなのに。お母さんを助けるために実家に行っただけだったのに。なのに、こんなひどいことになるなんて。本当にもったいなくて。」

Kさんの深い深い悲しみに触れて、私は何だかとっても悔しい気持ちになっていた。乳がんを経験してるからなのかも知れないが、本当に命がもったいなくて。

Kさんのお姑さんは80歳を過ぎての1人暮らし。ボケも始まっているが、住み慣れた場所を離れるのが嫌で同居していなかった。震災の時、ご主人は南小泉という所に居て、岩沼に向かうためにゆりあげ街道を通っている途中だった。車が渋滞し、そのまま津波に飲まれたらしい。

地震直後のメールでは、「オレは大丈夫だ」とあり、車で向かってる途中、と書かれていたと。

「3日経っても何の音沙汰も無くて、これは大変と思って。どこかの病院にでも流されていてくれたら、と思ったけど。あちこちの避難所、遺体安置所を見て回ったの。あんなにたくさんの遺体を見て歩くのは、もう本当に辛かった。ガソリンが手に入りにくかった時は、7時間並んで給油して。途中、腰痛がひどくなっちゃって、3日間動けなかったり。大変だった。」

ご遺体は海岸ではなく、住宅地のがれきの下から見つかったのだそうだ。持っていたのは携帯と小銭入れだけ。靴も片方だけ。その携帯のストラップが、息子さんがお土産であげた沖縄のシーサーがついた黄色いもので、それが目印になったのだそうだ。

Kさんのご主人は、ひとり息子の○○君のことをとても可愛がっていて、毎日高校まで車で送ってあげる、優しいお父さんだった。小さな頃から○○君を野球のチームに入れて、一緒に楽しく活動していた。息子さんからのお土産も大切にしていたのだろう。

もったいない。52歳。

「今までケンカもいっぱいしたけど、あんなに思いっきりケンカ出来る相手も、なかなかいないよね。あの人が相手だから出来たんだと思う。でも、話を聞いてもらえて気持ちが少しすっきりした。最初は誰にも会いたくないと思ったけど。葬式が終わって落ち着いたら、またみんなと会いたいわ。」と、涙を流すKさん。

Kさんのことは、みんなで支えていってあげたいと思う。