rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

乳がんになる前の自分を振り返る

1週間前にお願いしていた、“診断書”をもらうために病院に行ってきた。3週間ほど仕事を休ませてもらうことになるので、職場に提出しなければならないのだ。

ついでに手術の“同意書”も提出してきた。本来ならば、手術についての説明を家族と共に受けて、承諾してサインする、という運びになっているらしい。(インフォームド・コンセント)うちの場合は夫が単身赴任中なので、郵便にてやりとりして、手術に関しては私が説明した。

それにしても、今日もまたすごい混みよう。10時少し前に到着したら、待合室はもう満杯で熱気ムンムンだった。

外来受付に電話が掛かってきて、声の大きな看護師が話しているのが聞こえてきた。「えっ、手術の日を変更したいの?今日?今日はすごく混んでるのよ!受付だけで、もう200人を超えたから!今から変更だと・・・順番だからねー、12月末とかになっちゃうかもよー。」

いつもセカセカと忙しそうな看護師さんだが、200人なんてすご過ぎる。ほとんど(全部?)が乳腺外来なのだろうなー。他の病院から回されてきたような、マンモの大きな写真を持った人が多い。

私が医者だったら、逃げ出したくなる!と思う。それでいて、大切な命を扱う仕事をしているわけだから、ミスなんて許されない。医療の現場は過酷だ。

と、思いつつ、診断書をもらうだけなので、ササッとすぐに帰ってきた。

☆  ☆  ☆

思えば私の左乳房には、20代の初め?の頃からしこりがあった。

マイコプラズマ肺炎で入院した際に、ついでに外科の医師に診てもらったことがあり、「良性の腫瘍だけど大きくなるタイプのようだから、手術で取りましょう。」と、言われたことがあった。

その頃、私は親元を離れ、一人暮らしで仕事をしていた。

「手術の時には、親御さんは来るよね?」と、医師に言われ、母親に言ったところ、根っからの田舎者の母は、都会の病院というだけでどうしたら良いのかわからず右往左往。あたふたしていた。

地方公務員の父は、「その日は議会開催中だから絶対いけない。自分の親が死んでも欠席出来ない、と言われるくらい議会は大切な仕事なのだ。」と、言う返事。手術はあきらめるしかなかったので、電話にてキャンセルの旨を医師に伝えた。

私は、両親からは愛情をたっぷり注がれた方だと思うが、この反応にはがっかりだった。「自分の子供に何かあった時には、日本全国どこへでも飛んでいける母親になろう!」と強く決意した。

どっぷりおばさんになってしまうと、ひきこもりがちになってしまうものなのだ。

この時は機が熟していなかったのだろう。その後、母のリウマチが悪化して、「お願いだから帰ってきて〜。」と泣きつかれ、6年近く勤めた職場を辞め、実家に帰ることになった。

そこでようやく、左乳房良性腫瘍摘出の手術を受けることになったのだった。

大学病院に入院して手術。「他はいたって健康体だから、さっさと退院してね。」と、6日ほどで退院。術後の定期検診などもなかった。