rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

うちも車中泊だった

14日、16日の熊本大地震

東日本大地震を経験した私は人事とは思えなかった。ブログに自分の居住地がわかるような詳細な情報を載せるのはいかがなものか?と思ったが、自分が経験したことが何か役に立つかも、と思うと居ても立ってもいられなくなる。

カテゴリの「東日本大地震」か、記事一覧の2011年3月〜の記事を読んでいただければ、当時の状況が伝わるかな?と思います。

東日本大地震、当日の夜と翌日の夜はうちも車中泊だった。
当時大学生の長男と高校生の次男と私。3人で毛布と食料を持って、車庫に止めていた小型車へ。当日の夜は余震も多くて、ゆっくり眠ることは出来なかった。

翌日は近くの空き地に車を移動させて車中泊。この日も余震でグラグラに揺れていた。エコノミークラス症候群のことは知っていたので、数時間ごとに車から出て体を動かしたり水分補給をした。

二日間ともかなり寒かったので、車のヒーターをつけたり消したり。ラッキーだったのは地震の前日?頃にガソリンを満タンにしていたこと。家には反射式ストーブはなくて、電気が通らないと暖を取ることが不可能だったから、ガソリン満タンはありがたかった。震災後にいろんな人と話をしたら、ほとんどの人が反射式ストーブを持っていたようで、こういう時の備えは重要だなと思った。

電気が復旧したのが4日目。ようやく携帯電話もつながり始めてほっとした。震災当時、夫が京都に単身赴任中で8日目からはそちらに移動した。京都で2週間過ごして、仙台に戻ってきた。

東日本大震災の話題になると、今でも話しは尽きない。ライフラインの復旧が地域によって様々だったので、知恵をしぼって工夫をこらして生活していたようだった。

「反射式ストーブでお湯を沸かして、1人バケツ二杯分で体を洗う方法を編み出したのよ。」
「友人のご主人がホテルの厨房に勤めていて、冷凍庫にあった食材を分けてくれることになり、超豪華なディナーを食べた。」
「キャンプ用品一式を出してきて、近所の人と冷凍庫の食材でバーベキューを楽しんだ。」
「スーパーでも1人何点までと決まってたから、子どもたちと手分けして買い物して、後で近所の人たちとシェアした。」
「地元のスーパーの方が在庫を売ってくれたりして良心的だった。」

悲しい話も信じられないような話もたくさん聞いた。熊本大地震では強い揺れの余震が頻発していてなかなか収まらないようなので、心と身体にかなり堪えていると思う。一日も早く、元の穏やかな生活を取り戻せますように。