rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父捜す、二人の息子

熊本大地震。昨日から今朝にかけて報道されていたこのニュースに、思わず涙がホロリ。

寡黙だった父、突然の別れ 「もっと話したかった」

20日朝、南阿蘇村河陽(かわよう)の高野台地区。前田友光さん(65)の長男友和さん(37)と次男友次さん(32)は、父らしき人が見つかったとの知らせで捜索現場に駆けつけた。見つかったのは、父の「隠れ家」から数十メートルの場所だった。

 「早く見つけられんでごめんな。きつかったやろうな」。父の死を確認し、警察署を後にする際、友次さんは涙をにじませた。

 自動車販売会社で働いていた15年ほど前、友光さんは「隠れ家」として村に家を買った。熊本市に自宅はあったが、阿蘇の自然が気に入り1年の大半を過ごした。庭に木を植え、塀を作り、自分好みに仕立て上げた。

 「九州男児」そのままだった。息子たちにとっては寡黙で怖い父。子どもの頃は笑っている姿を見た記憶がない。大人になっても「元気にしとるか」の一言だけだ。だが、小学生と保育園児の孫2人の前では違った。自身を「ちゃん」と呼ばせ、花火を買ってあげたり食事に連れ出したりした。

 「ようやくじっくり話せるかな」。被災したのは友次さんがそう思った矢先のことだった。「もっともっとおやじと話をしたかった。ゴルフも教えてほしかった。でももうできん」

 妻和子さん(61)にとっては優しい夫だった。勤め先で知り合い、県内のドライブが最初のデート。話を何でも喜んで聞いてくれた。1年後に結婚して2人でプロ野球の試合を観戦し国内を旅行した。

 前震があった14日夜。友光さんはいったん妻を案じて熊本市の自宅に戻った。だが、片付けを終えると再び勤め先のゴルフ場がある村へ。「『無理して仕事に行かんでよかとよ』って言っていたのに」

 「隠れ家」は16日未明の本震で土砂に埋まった。和子さんらは代わる代わる一帯の捜索現場を訪れた。友光さんが見つかる前日の19日、家族が写った写真などの所持品が初めて見つかった。

 「阿蘇は寒かったろうから、早く温かい部屋に連れて行ってあげたい」

※gooニュースより引用させていただきました。

長男さんが「オレたちには鬼のように厳しい父でした。でも、母には優しい父だった。孫たちのことはとても可愛がっていて、そのギャップは何なんだ?と思っていたんですが。」と語りながら涙をこらえていた。

現場からは結婚式のアルバムなどがきれいな状態で発見された。次男さんは「こんなの見るのは初めてです。母も父が持って行ってたことは知らなかった。」と。

父親の捜索現場を見つめる兄弟の後ろ姿には、厳しいけれど愛情豊かなお父さんへの思いが溢れてた。息子が「鬼のように厳しい父」という位だから、かなり厳しい人だったんだろうな、と思う。

うちの夫も息子2人に対してはかなり厳しい。私はそんな息子たちが不憫で、いつもかばってしまって夫とケンカになっていた。それでも息子たちは夫を嫌ったりはせず、「お父さん、お父さん」と慕っている。

夫の方も、「まったく!アイツは本当にどうしようもないな。」とブツブツ言いながらも、片付けがまったく出来ない長男の引越しの時は手伝いに行き、面倒を見てあげた。長男も、厳しいことを言われても、「言われて当然のことだから。お父さんの気持ちも分かるよ。」とちゃんと受け止めてる様子。

「Rosaさんとこは、旦那様がとっても厳しそうだけど、息子さんたちはちゃんとお父さんを立ててるし、慕ってるよね。」と友人にも言われる。私は夫に反発してきたけれど、ちゃんと愛情が伝わっていれば厳しくても大丈夫なのかも知れない。

人として、しっかり自立して生きていけるようになってもらわないといけないのだ。

うちの父は優しくて面倒見の良い人だった。若くして精神的な病気を抱えた弟のことを生涯かけて守ってあげた。それはそれで素晴らしいことだと思うが、亡くなる数年前から弟の顔はドンドン険しくなり、身なりも構わなくなっていってたことを思うと、複雑だ。

パート仲間に、強烈な母親との関係に悩んでいる人がいる。父親は数年前に亡くなり、母親は一人暮らし。離れて暮らしているが、しばらく連絡しないと不在着信の嵐になるそうだ。長男はそんな母を嫌って少し前まで失踪していたとかで、彼は次男だが母親の面倒を見ているようだ。結婚を考えたことも数回あったが、母親のことで断念したらしい。

そんな話をいろいろ聞いてると、親子の関係がその人の人生に及ぼす影響の大きさに愕然とする。何が正解なのか、その人にとっての真実なのか。もがき苦しんで掴み取るものなのかも知れない。