rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父の死まで

13日(金)頃から父は食事を食べなくなり、ボーッとして寝てばかりいるようになったのだそうだ。見舞客が病室を訪ねても、ほとんど一言も発しない。お喋りな父がそんな風に変化していたことを、私はまったく知らなかった。

14日(土)、病室を訪れたいとこのKさん(男性)から私に電話が掛かって来た。「叔父さん、かなーりイライラしていて様子が変だよ。すぐ来た方がいいんじゃないかな?カウントダウンが始まってるような気がするんだけど。」とKさんが言ってる電話越しに父がいろいろ喋ってるのが聞こえた。

この電話の後、Kさんは二時間も父に引き留められた。自分から電話することが出来なくなった父はKさんに「親戚のTちゃん(男性)に電話してくれ。オレは強い痛み止めを今使ってもらったから、あと10分で死ぬ。本家の◯◯さんと友達の◯◯さんを呼んで欲しい。」と頼んだのだそうだ。

親戚のTさんも本家の◯◯さんも友達の◯◯さんも、父が最後まで一番信頼していて、自分亡き後のことを頼んでいた人たちである。友達の◯◯さんは来られなかったが、Tさんと本家さんは車で飛んで来てくれた。

すると、父は本家のおばあさんに自分の手を差し出して握ってきたのだそうだ。「後のことをお願いします。」と。

使ったからといって10分で死ぬような痛み止めであるはずもないのだが、周囲はびっくり仰天した。この頃になるとせん妄がひどくなり始め、「(昨年亡くなった弟)◯◯が迎えに来た。オレはもうすぐ逝くんだ。」などと言うようにもなっていたらしい。

「引き留められていた二時間の間に3回も『誰かが側に居てくれないとダメなんだ』って言うんだよ。こんな時に本当の娘っ子が付いてあげたらいいのになぁ、と思うんだけど、それは出来ないのかな?」とKさんに言われ、心がグラグラ。

翌日15日(日)はいとこのAちゃんが行ってくれた。「rosaちゃん、すぐ来たほうがいいと思うよ。土曜日でナースが少ないこともあって、センサーベッドにポータブルトイレで入浴は寝たまま全介助。点滴も2本されてるし。」とのこと。悩みに悩んでパート先の店長に「休ませてほしい。」とお願いしたが「まぁ、待って待って。少し冷静になったら?月曜日に主治医の所見を聞いてからでもいいんじゃないの?」と言われて納得。

翌朝早く病院に電話して、看護師さんに父の現在の様子を聞いてみた。「精神的な辛さがとても強いので、楽になる薬を使って欲しい、とご本人からお話があり、そうさせていただきました。意識レベルがだんだん下がってきたかな?と思います。詳しいことは後で主治医とお話ください。」とのことだった。

土日は検査が出来ない、とのことで、16日(月)のお昼前に主治医から電話が掛かって来た。

「検査の結果、肺炎なんですね。白血球が17,000(通常値は9000まで)、炎症反応CRPが18(通常値0.2)、レントゲンの結果、肺が真っ白です。血中カルシウムの値も僅かに高いので、辻褄が合わず落ち着かないのはこのためかも知れません。肺炎も合わせて経過を見守ります。」

「今日明日中にどうかなるということはないと思いますので、そんなに大急ぎで来られなくても大丈夫ですよ。」

「高齢ガン患者の場合は一週間前後でということもあり得るので、さらに悪化した場合、緊急な場合は早めにご連絡します。携帯でいつでも連絡取れるようにしていてください。」

「精神的な面でこの一週間ほど気持ちがかなり揺れていて、混乱して死ぬのが怖くなり、エネルギーが低下していました。ドクター、ナースともその都度、まだ大丈夫とお話していましたが、そう簡単に納得できることではないでしょう。それはそうですよね。」

と主治医。今日明日ということはない、という言葉を信じることにした。

いとこのAちゃんから電話。今日もまた病室の父を見舞ってくれている。主治医との話の内容を伝えた。

「そうなんだー。私はすぐにでも来てあげた方がいいと思うんだけどね。ほら、叔父ちゃん、rosaちゃんだよ。名前を呼んであげて。」とAちゃん。電話越しに私の名前を一生懸命に呼ぶ父の声が聞こえたが、もはやハッキリとした明瞭な声ではなかった。体の中から絞り出すような声で、私の名前を一生懸命に何度も何度も呼んでくれた。

「お父さん、明日行くからね!17日のお昼くらいに病院に着くからね!」

それが父との最後の会話になってしまった。父はこの日の夜、10時53分に亡くなった。間に合わなかった。

せん妄が強くて辛そうだったので、看護師さんが楽に休めるお薬を使ってくれたそうだ。それから、あっという間に呼吸状態が悪くなり旅立ってしまった。

いとこたちも親戚も誰も間に合わず、一人きりの旅立ちだった。

翌朝、病院に着くと、主治医が詳しく丁寧にお話してくださった。主治医も「まさかこんなに早くお亡くなりになるとは、思いませんでした。」と。

看護師さんには、「早く楽にしてください、早く楽にしてください、って、何度もお願いされました。苦しかったんでしょうね。」と言われた。

体の方は病気のわりにしっかりしていて、肺炎になる前までは、数値的にもレントゲンでも大丈夫そうだった父。精神的な面での辛さが非常に強かった、という言い方をされることが多いのだが、本当にすべての原因はそこにあるのだろうか?

数値化されない具合の悪さに苦しんでいたのではないだろうか?

少し前から「オレはもうすぐ死ぬんだ。」「オレの死期はすぐそこまで迫って来ている。自分にはわかる。」とよく話していた父。本当にそうなってしまった。

最期の時に側に居てあげたかったな。