rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

抗がん剤初投与から1年・・・

昨年の4月14日、抗がん剤FECを初めて投与された。
あれから1年。そうか、もう1年になるのか、と、この季節は何とも感慨深い。

体験者の方々のご報告どおり、2週間後くらいには信じられない勢いで脱毛が始まり、5月の初めには夫にバリカンで坊主頭に刈り上げてもらった。

悲しくなるのかな、と思ったが意外にそうでもなくて、「きゃはは、断髪式だね。」と笑いながらカメラにおさめたりして。普通に生きていたら出来ない経験。頭を丸めるのって、何だか清々しい。生き直したくなった人が坊主にする気持ちがよくわかった。

副作用が軽めな私でも、抗がん剤は苦しかった。投与後、5日目〜7日目に苦しさのピークがやってきて、自分の体だけに重力がドーンとかかってるような感覚だった。

あまりの辛さに夜布団に入ってから、(このまま死んだらどうしよう。もしかして死ぬかも?)なんて思って泣いたりもした。それでいて達観してるような不思議な感覚だった。改めて自分の人生を振り返ってみると、(あら、私って意外と幸せなのかも。)なんて思えたりもして。自分が恵まれている、ということが客観的によくわかった。今まで不平不満も多かったけど、わがままだったんだな、と。

夫とはケンカばかりしていたけど、逆に良い所ばかり思い出されて感謝したくなった。父からも母からも愛情をたくさん注いで育ててもらって来たし、長男も次男もいい子に育った。お姑さんも夫の兄弟も優しくていい人たちばかりだし。職場のみんなとは仲が良くて和気あいあいだし。

あら?私、今まで何に対して不満を持っていたのだろう?とおかしくなっちゃうくらいだった。

今住んでいるこの家も、この部屋もこのベッドも。すべてがお気に入りで愛着のあるものばかり。

自分の周りの環境も人間関係も、自分自身にぴったりなものばかりなんだな、と思った。

“死”とは、自分だけがこの世界から切り離されていくことなのだな、と思うと、それが切なくて切なくて。もう少し生きていく時間をもらえたら、周りの人たちに恩返ししなきゃ、なんてことも考えていた。

抗がん剤なんて、経験しないに越したことはないけれど、生きていく上での意識が全然変わってしまったことからすると、経験しただけの価値はあると思う。強烈な経験だったから。

抗がん剤の害を説く識者は多いが、たとえ数%の上乗せ効果しかなくても、癌患者はやはり試してみたいと思うものなのだ。だから、辛い副作用にも耐えていけるのだと思う。

一年も経てば普通に元気だし、髪の毛も普通のショートの人並みになる。そういえば今日職場で、「初めてウィッグ取ってきた時は、本当〜に前髪短かったよね〜。」と言われて大笑いしたのだった。みんな何も言わなかったけど、かな〜り短くて変だったよう。笑い話に出来るくらいになったのだ。