rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

この1年を振り返る

昨日で仕事納め。店の営業は大晦日まで続くものの、自分の出番は終了。

担当の仕事はすべて片付けて仕事仲間ひとりひとりに、「良いお年を〜。」と挨拶して帰った。

今朝、お姑さんから電話があり、「rosaさん、今日、誕生日でしょ?おめでとう!」と言われてびっくり。48才にもなって、そんな・・・恥ずかしいわ。(//∀//) でも嬉しい♪

うちのお姑さんはホント優しい。私の上を行くようなストレートな性格だけどとっても正直。似てるのかも。

夫の義兄の所も年子(女の子2人)でうちも年子(男の子2人)。その昔「あんたたちは揃いも揃って〜。我慢出来なかったの?」と夫と義兄が言われた時には、びっくりしたわ。(((((((*ノ∀ノ)イヤン☆

脳梗塞で左半身麻痺になり、特別養護老人ホームで暮らしている姑。口から食べることが出来なくなり、胃ろうを作って栄養摂取している。後遺症で舌がもつれたり、泡が出てきて喋りにくかったりといろいろ大変そうだ。

来年は夫が勤続30年で特別休暇をもらえるらしいので、北海道帯広在住の姑に会いに行ってこようと思う。

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今年は過去48年間の中で一番波乱万丈な年だった。

年の初めに抗がん剤ハーセプチンの治療を受ける決心をし、治療に入る前に口腔外科や循環器内科にも通って準備をした。

3月初め、次男が大学入試で第一志望の大学に不合格。(私立大は合格)浪人決定。その翌々日が東日本大震災だった。

私は職場で仕事中に被災した。息子2人は自宅で。電気がストップして信号機も消えた中、車を運転してなんとか自宅に辿り着いた。その時は、まさかあんなひどい津波で甚大な被害が出ていたことなど、誰も予想できなかった。

携帯電話が使えなかったので、夫とも実家とも連絡が取れず不安だった。その後、単身赴任中の夫がいる京都へ次男と避難。京都で2週間ゆったりと過ごした。

仕事再開の連絡を受けて自宅に戻り、働きながら4月から抗がん剤治療開始(4クール、最初はFECで3回目からEC)、6月末終了。7月からハーセプチン治療開始で現在に至る。

抗がん剤治療を受けた、というのはすごい経験だった。髪の毛が全部抜けたり、体に重力がかかってるようなだるさを経験したり。あのしんどさは経験したものにしかわからないと思う。痔も大変だった。

生きていくのって大変なことだ。今は体調も良くてむしろ元気なくらい。普通に生きていけるだけでもありがたい!

治療に入る前に抗がん剤ハーセプチンの高額な医療費のことが気がかりだったけど、夫の会社の健康保険組合から2万円を超えた分は3ヵ月後に自動還付されるということがわかり、とても助かった。(限度額認定証が必要)お金のことでケンカしたり落ち込んだりもあったけど、ちゃんと治療が受けられるのは夫のお陰である。ありがとう。

来年7月にハーセプチンの治療が終わるまで、途中体調を崩すことなどなく、ちゃんと完遂できるといいな。

次男が第一志望の大学に合格出来ますように。

家族みんなが健康で元気でいられますように。

来年はもっと活動的に外に出て行きたいな、と思う。