rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

スタートは挫折から

春から大学生になった長男が夏休みで帰ってきた。

あれから早3ヵ月。
難関といわれる私立大に現役合格して喜んだのもつかの間、長男は大きな挫折を経験したのだった。

大学入学とともに、首都圏の学生寮での生活をスタートさせた長男。

何も連絡がないのは忙しくしているからだろう、とのん気に構えていた私のところに、
「なんか変だぞ。この前、ようやく電話で話したら、ものすごく切羽詰った感じだった。かなり大変なんじゃないか?連絡してみろ。」
と、夫から連絡が入った。

不安に駆られて連絡をしてみたものの、なかなか返信は無く、翌朝、私の携帯に長男からのSOSメール(夜中の2時にこっそり送信したらしい)が届いていた。入寮してから6日目だっただろうか。

「5日間便秘で4日間尿もあまり出ず、出たと思ったら血尿。明日、上級生の付添いで病院に行く。自分としてはここを出て1度自宅療養したいが、自分からは言い出せる雰囲気じゃない。お母さんから管理人に連絡をとってほしい。」
という内容。衝撃が走った!!

管理人のおじさんに電話で状況確認をして、その日のうちに寮まで迎えに行った。たまたま私の仕事が休みの日だったので助かった。

病院で診察の結果を聞いてからにしてほしい、とのことで、出発したのは午後2時近く。新幹線や電車を乗り継いで到着したのは午後5時頃だった。

詳しいことは書けないが、学生が自分たちで運営している大学直営の寮なのだ。

入ってから3週間は研修期間で、声出し訓練やら礼儀作法やら集会やらがあるらしい。睡眠時間は2〜3時間。

長男は連絡係をやらされてて、連絡網を作るためにさらに雑用も増えたとのことだ。

上級生がずっと監視していて、携帯で通話なんて出来る状況ではないのだ、と後で聞いて驚いた。

たまには新入生をゆっくり寝かせてやろう、という日もあったらしいが、ずっと付添ってる(監視してる)先輩が、「今夜は二年生で作戦会議を開くぜ。」と、夜中の3時まで起きていて、気を使って全然寝られなかったということだ。

部屋は3人部屋で上級生+一年生。ハンパなく勉強してる先輩たちなので、一晩中明かりをつけて勉強してる。そんな中では疲れていても眠れない。

建物もすごかった。想像以上の古さ。外が明るく晴れてても、この中はいつもじめっとして暗いだろうな、と思えるくらいの、重い古めかしさが漂っていた。

食費・家賃・雑費全部含めて22,000円!!という破格の安さに心惹かれたし、長男も家計に負担を掛けたくなくて頑張ろうと思っていたのだが・・・。

おまけに、長男が通うキャンパスまでがかなり遠い。情報では1時間半、とのことだったが、実際は電車の本数も少なくて、片道2時間ほど掛かってしまうので、かなり体力的にもキツイ。

「去年は新入生15人入って8人やめた。」という話も、行く直前に先輩から初めて聞かされた。不況なので費用が安い寮は人気があり、入寮の面接は3倍の狭き門だったのに。

病院で診察を受けたとき、医師と看護師が長男にこっそりとこんなことを言ったそうだ。

「あそこの寮だろ?毎年、何人か来るんだよ。大学に入りたくて来たんだろ?寮に入るのが目的じゃないよね?やめた方がいいと思うよ。」

病院の診察にも先輩が付添い、出た薬も本人に渡されずに先輩が持っていた。こういう「自由がない状況」というのも、本人には相当こたえたらしかった。

さて、私は管理人室で役員をしている大学生たちと話し合いをすることになった。

「私一存の意見では決められませんので、他のものが揃うまでお待ちください。」というので、役員が3人揃うまで待った。

「今日、何としても息子を連れて自宅に帰ります。」と言うと、
「規則がありますのでそれは出来ません。今日来て今日、ということは不可能です。規則ですから。」なんてことを言うのでムカムカしてしまった。

「冗談じゃない!!こんなに具合悪いのに!何がなんでも連れて帰ります!」と、強行突破。

「お母さん、先輩たちにはとてもお世話になったんだから、そんな態度は取らないで。」と長男。しかし、ここは譲るわけにはいかなかった。

寮を出たのが午後7時過ぎ。そこから自宅までの旅。到着したのは午後11時近くだった。翌日から普通に仕事の日々。かなり疲れた。

夫は夫で心配なあまりいろいろ口うるさく言ってくるし、長男は長男で精神的にも肉体的にもボロボロ。

「共同生活が出来なかったんだろ?」と夫に言われたことで怒り、大泣きしていた。

自分のふがいなさは自分が一番良くわかっているのに、夫は痛いところをネチネチ責めまくる。

間に入って、長男をなだめるのは大変だった。精神論でバリバリ責め立てられるのは、長男がもっとも苦手とするところだった。

「あんな所に比べたら、どんなボロアパートでも大丈夫。あと、人間には自由な空間が大事だ、っていうことがよくわかった。」と語った長男は、自宅で一週間静養してすっかり回復した。

ノドがつぶれて話すのも大変だったが、普通に喋られるようになり、体力も回復。何よりも、ゆっくりたっぷり睡眠をとれたことで、精神的にもほっとした様子だった。

「他人と共同生活を送ることに、強い緊張を感じてしまう自分がダメなんです。」と、寮の運営委員たちの前で泣きながら語っていた姿を思い出す。

人間、どうしても苦手なこともある。私はそれでいいと思う。

寮の運営委員も委員長も、一人ひとりだったら、きっと素敵な青年なのだと思うが、何かの組織を運営するためには、心を鬼にして遂行していかなければいけないこともあるのだと思う。

以前の寮生でも、ストレスがたまると倒れて入院して、また数ヵ月してして倒れて・・・ということを繰り返し、とうとう親が退寮させた、という人もいたとのことだった。

「逃げるが勝ち」ということもある。先輩たちも一生懸命面倒を見てくださったのだと思うが、うちの長男は耐えられなかった。

一週間の自宅静養の後、長男は大学に戻った。

友人のアパートに居候させてもらって、すぐに自分の住むアパートを決め自炊生活をスタートさせた。

その後、生き生きと一人暮らしと大学生活を謳歌していたようである。

夏休みで帰ってきた長男は、真っ黒に日焼けしてたくましくなったように見えた。

スタートは挫折から。

そういえば、長男は小さな頃からスタートで挫折する子供だったなぁ、などと思い出した。