rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

長男の“辞める決心”

排水管詰まり騒動の渦中、夫が長男を連れて帰って来ていた。

先月の14日(木)と15日(金)、二泊三日の東京出張だった夫(札幌に単身赴任中)は、直前にようやく長男と連絡が取れ、15日夜に待ち合わせて居酒屋へ。その席で、「これから一緒に自宅へ帰ろう。」という話になり、急遽、新幹線で帰って来たのだ。

その前日、長男からは珍しく長いメールが届いていた。
「来年の春からは大学に戻ります。仕事は、一緒にやっている仲間に譲るか、会社をたたむか。自分は辞めるつもりです。」
「大ヒットを期待してそれに人生を掛けるのは正しい選択ではないことが分かりました。」
「就職先については、商売をやっていく中で知り合った企業の方に紹介をいただいたり、いろいろな方法はあると思うのでそれについては心配はいりません。仕事は選ばなければいくらでもあります。一ヶ月ぐらい探せば、どんな仕事をしても食べて行けなくなることはありません。」
「心配を掛けてすみません。決して親孝行な自分ではないけれども、できるかぎりの努力はします。」

詳しいことはわからないが、取引先への支払いに追われて、本来自分がやりたかった仕事は当たらず、資金繰りにかなり苦しんだようだ。今年は3月、4月、5月と11月、こちらからも仕送りをしてあげたのだが。出資してくださった方たちもいて、そう簡単に辞めるわけにも行かず、かなり苦しい思いをしたらしい。

システム開発の能力があるスタッフがいて、長男が営業をして仕事を取ってきて、なんとか存続してきたようだ。1人で家庭教師をしていた頃の方が楽だったようで。

大学から、「履修届けも休学願も出されていないので、このままだと退学処分になります」と、配達証明付郵便が届いた時には本当にびっくりしたのだが、そちらの方も教官と面接して休学願を提出し、受理されたとのこと。ほっとした。

「大学に戻って一年になるか一年半かかるかわからないが、とにかく親として最後まではうちで生活費等も面倒見てあげよう。◯◯がちゃんと卒業して就職出来るまで、しっかりとサポートしてあげようよ。」と夫。夫なりにすごく心配していたようだ。

翌日、私は仕事だったが、夫は長男とバイクに2人乗りして出かけたらしい。夜は4人家族揃っての夕食。今年一番ほっとした瞬間だったかも知れない。

その翌朝、夫は札幌に帰って行った。その後、排水管詰まり騒動・・・。長男も水浸しの床の片付けに奮闘してくれて、一件落着となってから東京に帰って行ったのだった。

やれやれ。