rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

同部屋の患者さんたち

どこに入院しても、明るくて気さくで面白くて、お医者さんや看護師さんや他の患者さんとも仲良し、な感じの人はいるものである。

今回、隣のベッドのkさん66才はまさにそんな人で、「新入りさんが明るい人で良かったわー。」と私にも身の上話や病気の話など、オープンに話してくれた。

「私は大腸ガンで、もう5ヵ月も入院しているの。お腹に何かあるな、とは思っていたんだけど、ワンコたちの世話とか日々のことに忙しくて、ついつい後回しにしてしまったのね。スーパーで買い物してても、痛くて脂汗が出てきて大変になって。手術で取り出したらタコの頭くらいの大きさ(10cm位)になってたの。幸い、転移とかはしてなくて。でも、その後の抗がん剤治療は辛かった。死にたいと思ったわ。」

kさんは茶髪でロング。抗がん剤で抜けて、すっかり薄くなった髪を気にしていた。「前歯もグラグラしてるからって、ここの歯医者で5本も抜かれたの。化粧すれば派手に見られる方だったのに。こんなんじゃ、年下亭主に逃げられちゃうよー。」と。

私も乳がん抗がん剤治療を受けて脱毛した話をし、抜け始めの時に夫にバリカンで坊主頭にしてもらって、ウィッグかぶって仕事をした話をすると、「えーっ、すごい!思い切りいいね!坊主頭にしちゃうなんて。でも、若いから。その後、すぐに生えて来たんでしょ?」と、超ビックリした様子だった。

乳がんの時には、周囲もみんなそうしていたので、何の疑問も感じなかった私。しかし、消化器外科系のガンの人たちは、わりとそのままにされてる方が多いようだった。ケア帽子をかぶってる人はほとんど見かけなかった。

斜め向かいのベッドのTさん67才は、「すい臓ガンなの。もう、足掛け3年よ。入退院を繰り返しているわ。これまでに2回くらい、いよいよもうダメかと思ったけど、まだ生きてる。こちらの主治医は、12時間掛かると言われた手術を8時間でやってくれて。胃を2分の1、十二指腸も、胆のうも、胆管も取ってるの。昔はヤセの大食いだったんだけどね。こんなに痩せちゃって。」と話してくれた。退院した翌日の夜中に倒れ、また入院になった、ということもあったそうだ。

私が入院した頃は、体中にいろんな管が入っていて、身の置き所もないくらい大変そうだったが、退院する頃には管も一つだけになり、大分元気が出て来たようだった。優しいご主人が毎日病室に通い詰めていた。

「さっきドクターに、あと2、3週間で退院って言われたの。嬉しかったわ。」と、気持ちも前向きになった様子。人って治るんだ・・・と思った。

前述のkさんは私が入院して3日目に退院された。
別れ際に「あなたって家族縁が薄いのね。ご主人単身赴任で、息子さんたちはそれぞれ独立。実家は親兄弟みんな亡くなって空き家なんでしょ?聞いてて涙が出そうになる。あなたは強い人だわ。」と言われた。

(そうかー。私は家族縁が薄くてかわいそうなのか。まぁそうかも。でも、愛情深い両親だったし、この年齢になると両親とも見送った人も多いんだけどな。)と思った私。

今回は夫が駆けつけてくれて、自宅と病院を何往復もしながら頑張ってくれたし、息子たちはそれぞれ心配して連絡くれたり、調べたりしてくれたので、その思いだけで十分ありがたかった。

kさんには46才の一人娘さん(一度結婚したがすぐ戻って来て、以来独身)と年下夫さんがいて、甲斐甲斐しくお世話をされていた。お友達も多くてにぎやかな人だから、私が寂しそうに見えるんだろうな、と思う。

Tさんは子供さんが二人いて、札幌と大宮在住とのこと。「来なくていいから。」と電話していたようだった。ご主人が毎日通ってくるし、問題はなさそうだった。

「親が早く亡くなった人は、従姉妹とか大事にするといいよ。」と言っていた。私の場合、従姉妹たちも秋田だしなぁ。まぁ、今回も何とかなったので、良しとしよう。

kさん退院後、Sさんという方が別室から移って来たが、この方は自分の家族の話などは一切喋らなかった。息子さん夫婦がお見舞いに来て、お嫁さんからずいぶん冷たいトゲトゲした話し方をされていた。

「入院中、何かと必要なものもあるから、お小遣いちょうだい。」「えっ、なんで?そんなのいらないでしょ!」なんて会話も聞こえてきて、(お嫁さんに財布のヒモまで握られてるのか)と不憫になった。

家族がいればいいっていうもんでもないんだな、と思った。