rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父の誤解と新たな決心

病室のドアを開けるとガックリとうなだれた父がいた。私に会うのを心待ちしていてくれた様子だが、いつもの父とは違いソワソワしていて落ち着きが無い。

「身の置き所がなくて。」とベッドでも座る場所を何度も変え、物の置き場所も変え、ああでもないこうでもないとため息をつく。話していても辻褄が合わないことが多く、「オレの話は支離滅裂だ。どうしてこんなことになってしまったのか。」と嘆く。自覚はあるものの、頭の中の暴走を止められないようだ。

そうかと思うと「足腰は鍛えないと弱くなるから、歩いてくる。」と杖を持って病棟内を歩きまわり、また病室に戻ったかと思うと、「歩いてくる。」ということを何度か繰り返した。(大丈夫かしら、父?)と不安になるほどの変わりようだった。

私の自宅から父の病院まで230km、自宅から実家までは300kmほど。今回は高速バスを利用してやって来た。時間が限られているので、単刀直入に父に聞いてみた。

「主治医から退院して自宅に帰りませんか?と言われたんでしょ?いろいろ考えたんだけど、私のうちで一緒に暮らさない?それを決めようと思って、今日ここに来たんだよ。」

するとウーンと考えこんだ父。「オレがそんなこと言ったんだろうか?まったく記憶に無い。本当にそんなことを言われたのか自信がない。」と困惑した表情だった。記憶が曖昧なのでどうにもならない。

病室にやって来た看護師さんをつかまえて、「すみません。ちょっと相談したいことがあるんですけど。」と病室を出て父の様子について聞いてみた。

「そうですよね。今の状態を見たら、ご家族だったらとても心配になると思います。痛み止めで医療用麻薬のオキシコンチンというお薬を使っていて、◯◯さんは副作用で眠気が強く出すぎているようだったので、少し量を減らしたりして適量を探っている所なんです。体に耐性がついてくると落ち着くと思うんですが。」とのこと。薬の副作用らしい。

主治医が退院して自宅に帰るようにすすめた、ということについては、「そんなことは言ってないと思いますよ。長く入院されてる方にすすめることはありますが、病院側からいついつまで、などという話をすることはないです。」とキッパリ。父の間違いだったようだ。

「退院した後のことについては、あくまでもご本人とご家族で話し合って决めていただきたいです。」とのことだった。

看護師さんに確認できてようやくホッとした。前回、帰る直前に父から聞いたので確かめることも出来ず、ただただショックだった。考えてみれば一方的な話だ。冷静に考えることが出来ないほど、私自身も疲れがピークに達して余裕がなかったのだと思う。

夕方頃には父は大分元気になった。多弁、多動ではあるが、病室を出て病棟内を歩き回り、ボランティアの女性たちと大きな声で楽しそうに話して、時折笑い声も聞こえた。ここのボランティアさんたちは、とても親切で優しい。

前回はひたすら部屋にこもっていた父だが、話を聞いてくれるお馴染みさんが増えた様子。今回私を泊めてくれるいとこたちが来た頃には、冗談もポンポン飛び出すほど、父は上機嫌だった。

☆   ☆   ☆
いとこの家に泊めてもらってたくさんご馳走になり、至れり尽くせりで病院まで送ってもらった。

回診で主治医がやって来て、「◯◯さん、最強の応援団の娘さんが来てくれて良かったですね。」と話し掛けてくれた。チャンスとばかりに、今回父があまりにも具合が悪そうで飛んできた経緯をお話した。

「そうでしたか。患者さんはすごく揺れるんですよ。誰でもそうです。◯◯さん、すぐに退院して自宅に帰られますか?なんて私は言ってないですよ。3ヵ月くらいは安心してここに居てください。3ヵ月経って体の状態が安定していれば、その時に退院のお話をさせていただきますが、こちらからいきなり退院してくださいと言うことはないですよ。患者さん間の公平性、痛い辛い人があくまでも優先、ということもありますのでね。」とのこと。なんだ、やっぱり父の思い込みによるものだったのだ。

「先生にここを早く退院しろと言われたらどうしよう・・・と思って、ビクビクしてたので。」と父。「大丈夫ですよ。3ヵ月くらい、安心してゆっくりここに居てください。」と主治医。

「娘さんが引き取って面倒を見たい、とおっしゃられてますが、どうですか?」と聞いてくれたが、ウーンとじっくり考えた父は、「いや、やっぱりそれは嫌だ。私はやっぱり地元にいたい。知らない人ばかりの所で暮らしたくない。」と頑なだった。「80才までしっかりと自分の生活を守って来た人ですからね。そうですか。」と主治医。

「昔は大家族でお嫁さんや孫もいて、というのが普通でしたが、今は時代が変わったんです。親の世代も頭を切り替えて行かなければいけない。理想と現実。現実を受け入れるには、落とし所を探って、どこかで手を打つことも必要ですよね?例えば、ここを退院して娘さんの所で面倒見てもらって、また調子が悪くなったらここの病院に入院する、ということは出来ませんか?娘さんの所にいる間はそちらのドクターを紹介しますから。」とまで言ってくださったが父は、「いや。私は地元にいたい。知らない所に行くのは嫌だ。地元の方が親戚や友人たちも来てくれるから。」と譲らなかった。

「でも◯◯さん。入院して部屋で過ごすのだったら、ここに居るのも娘さんの近くで過ごすのも、大して変わりないんじゃないですか?そんなに違うものですか?」とまで突っ込んで聞いてくださったが、「いや、全然違います。」と父。

「分かりました。では3ヵ月くらい、ここでゆっくりしてください。3ヵ月経って今より元気になられたら、市内の老人施設を紹介しますので、そこから外来に通ってください。ただし、娘さんも行ったり来たりが大変だから、月に1回くらいしか会いに行けないかも知れないですよ。調子が悪くなったら、こちらに入院出来るようにします。」と主治医。「それでいいです。それでお願いします。」と父。具体的な道筋が決まり、かなり安心したようだ。

うちの実家はド田舎なのでどうしたものかと思っていたが、病院と同じ市内の施設を紹介してくれる、とまで今回言っていただいたので、私自身もホッとした。

ここの病院は見捨てない。患者の気持ちに寄り添って一緒に考えてくれる。信頼出来る、と思った。人気のある病院なわけである。

父が抗癌剤治療を受けた地元の大病院では、いきなり退院するように言われたので、父も私も医療不信に陥っていた。見捨てられたらどうしよう、という不安感があった。

自分の命が残り少ないのではないか、主治医が本当は深刻な病状なのに隠してるのではないか?と疑っていた父だが、「私はウソは言いません。本当のことを言いますよ。騙してないですよ。◯◯さんは体の状態はそんなに悪くないので、今すぐどうとかということはないと思います。これは本当のことです。元気になられて退院された後のことを考えていた方がいいです。」と主治医に言われ、こちらの疑いも晴れた。

「雨降って地固まる」ではないが、大騒ぎして道筋がついたようである。あくまでも父の意志を尊重して、私が父の所に通う方向でやって行こう。「お前に迷惑ばかり掛けて申し訳ない。金は出すから通って欲しい。」と父は言ってくれてるので、頑張るしかない。

父の末期癌が発覚してからの3ヵ月。ハラハラドキドキの毎日で、ジェットコースターに乗ってるようだった。しかし、ここに来て短期戦ではない様相をあらわし始めた。抗がん剤で苦しんだが、その甲斐あっての延命である。

こはちょっと落ち着いて、自分の生活も守りながらの介護に変えて行かないと、途中で私のほうが倒れてしまうな、と思った。父の辛さに振り回されてしまいそうになるが、冷静に見ることも必要だ。

父は今の病院が大好きで、最後までここで看てもらいたい、と思っているようだ。私は最強の応援団長として今後も父を助けて行こうと思う。