rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

不登校、うちの場合(1)

Mちゃんの一件以来、不登校のことが気になっていろいろ調べてみた。

「父親が不在がちで育児に無関心」というのが共通のキーワードのようである。夫婦仲が悪くて会話も少なく、母親が子どもと依存関係になりやすい、とか。障害者施設で働いている友達に聞いてみたら、「兄弟二人とも不登校、とか多いんだよ。家庭に問題があることが多いのかも。」と言っていた。

うちの長男も高1の時、不登校になり心療内科に通ったことがあった。

県下一のトップ高に合格したものの人間関係でつまずき、秋の終わり頃から「眠れない」「食欲が無い」とお決まりのパターンが始まった。そのうち、体のあちこちが痛い、辛い、と訴えるようになり、内科の医師から心療内科を紹介され通い始めた。

心療内科の医師は仏様のようなお顔の優しい先生で、初めて診察を受けた日、(この先生なら大丈夫。きっと治る。)と思った。

「まずは、ガッチリ休養を取りましょう。出席日数ぎりぎりの所まで高校を休んで下さい。」と言われ、2ヵ月ほど休んだ。

その間、担任の先生や上の先生からは毎日のように電話をいただいた。時には高校に呼び出されて面談もしていただいた。それまで「悪いことで学校に呼び出された」という経験がなかったので、これはなかなか辛い経験だった。

薬のせいもあって、毎日ほとんどボーッと寝ているような息子。時には母と息子でワーワー泣き合うようなこともあった。「お母さんは泣かないで。お母さんに泣かれると、こっちまで悲しくなっちゃうよ。」と言われたこともある。母親はどんな時でも家庭の太陽でなきゃいけないのだ。

息子はもともと思い込みの強い子で、そんな苦しい状況でも「治りたい」という強い意志は持ち続けていたようで、中学時代に不登校・ひきこもりを経験した先輩に電話をかけて相談したりしていた。

2ヵ月が経った頃、少しずつ回復のきざしが見え始め、医師から、「そろそろ登校させてください。多少具合が悪くても、とりあえず学校に行かせてください。出席日数が足りなくて進級出来なくなると、今度はその不安から悪い状態になるかも知れません。」と言われた。

そこからの私は必死だった。毎日毎日、片道25分かけて車で送り迎えをした。冬まっただ中の寒い時期だった。具合が悪そうな日も引きずるようにして連れて行った。

そんなある日、夕方迎えに行くと、長男が満面の笑みを浮かべて車に乗り込んで来てこう言った。「今日はクラス対抗球技大会だったんだ。みんな勉強ばっかりしていてヒョロヒョロじゃん。意外なことにオレ、大活躍しちゃって。楽しかった〜。今日はすごく幸せだ。」

えっ、幸せって言った?その日の長男はとっても楽しそうだった。それからはあっという間の回復だった。

「2ヵ月で回復したので、うつ病というよりはうつ状態だったんでしょうね。」と医師には言われたが、本人いわく、「死ぬほど苦しかった」そうである。ハタから見てても辛い2ヵ月だった。