うちの次男(現在一浪中)は、高校時代、国立大理系コースだった。そのコースには医学部を目指す人が4人いて、全員医者の息子だった。
現役で合格したのは一人だけ。卒業式で総代を務めた優秀な彼は、国立大の医学部に一発で合格したのだった。
医者の息子というのはやはり裕福なようである。次男が語る友人たちの話の端々からそんな感じを受けたが、同時に勉強に対してはかなり厳しくもあるようだ。教育熱心で塾や予備校にも早いうちから通わせてもらえるが、成績が落ちた時にはカミナリも落ちる。
医者の家に生まれたんだから、と、当然、医者になるようにレールが敷かれていく。本当は違う勉強に興味があるんだけど、そんなこと言えるような雰囲気じゃない、という感じらしい。
うちの長男(現在大学二年生)は、高校時代、国立大医学部に通うKさんという人から、タダで数学を教えてもらっていた。
とある政治家の街頭演説を聞きに行き、熱心に質問などをしたところ面白がられて、事務所に遊びにいらっしゃいと招かれた。(宗教とは無関係の政治家です)そこで、数学が苦手だという話をしたら、事務所の手伝いなどをしていた医大生のKさんを紹介されたのだった。
私は結局一度もお会いしなかったが、このKさんは今どき珍しいくらいの苦学生だった。
東北のとある漁村の出身。両親の不仲により家庭崩壊。父親が働かず酒ばかり飲んでいて、母親が必死に働いて家計を支えた。家にお金がないので塾にも予備校にも行けず、Kさんは独学で国立大の医学部に合格。
奨学金やアルバイトなどで月20万円ほどを工面して、1人暮らしをしている、とのことだった。アルバイトも、家庭教師はもとよりミスドやマックなどでも働いていたようである。
2年前に研修医として新潟の病院に赴任されたと聞いた。北川景子に似た美人の彼女(放射線技師)の故郷が新潟で、まもなく結婚する予定とのことだった。今ごろ、どうされているのだろうか。
過去の自分の日記を読んでいたら、こんなのが見つかった。
2010年3月2日
「目の前で人が倒れたら」
職場での昼休み。
突然、長男から電話があった。
「かあちゃん、今、バスを降りようとしたら、目の前で人が倒れた。で、俺が救急車に乗って一緒に行くことになっちゃったから。帰り、少し遅くなるわ。」
な、なに?突然の話で意味がわからなかったけど・・・。帰宅後、ゆっくり話を聞いた。
今日、長男は大学の医学部に通う先輩に誘われて、ランチを食べに出かけていた。先輩は春から研修医として新潟に行くことが決まっており、長男ともしばらく会えなくなるとのこと。大学に合格したことをとても喜んでくれたようだった。
ランチの帰り、先輩と別れて駅前行きのバスに乗り、降りようとしたその瞬間。
支払いのバスカードを取ろうとしたら(うちの市は後払い)、後ろに並んでいた老女が突然、意識を失って頭から倒れた。長男の着ていたコートに頭が引っ掛かった。
「大丈夫ですか!」
近くにいた女子高生たちは、「キャー」と叫んで逃げていき、若い男性運転手は突然のことにすっかりうろたえてしまい何も出来ない。仕方なく長男が自分の携帯から救急車を呼んだものの、なかなかすぐには繋がらなかったとのこと。
老女は意識がなく、話しかけても反応はなかった。ニット帽をかぶり、身だしなみにも気を使っていない感じで、顔にも生気がなかった。倒れた現場にいた人たちは、誰も助けようとしなかったのだ。
5分ほど待って救急車が到着。
長男が通報者だということで、同乗することになったというわけだ。
救急車の中から搬送先の病院を決めるために、救急隊員が電話を掛けたが、二つの病院から受け入れを断られた。平日の真昼間だというのに。三つ目に受け入れてくれた病院が、偶然にも先ほどランチを一緒に食べた先輩がいる大学病院だった。担当の救命救急医は若い女医で、疲れ切って仮眠を取っていたところを起こされた様子だった。
老女の持ち物から、ここの病院に通院中であることがわかり、病名は「子宮癌」であることが判明。かなり血圧が下がっていて、病状も進んでいるらしい。これまでに4度も手術を受けている。老女と思ったが、まだ59歳。家族は娘が1人だけ。その娘も仕事のシフトが忙しくて、なかなかゆっくり会うこともできないのだそうだ。
「あなたは家族じゃないわね?高校生?・・・じゃあ、この先の話は聞かないほうがいいわ。もう帰っていいよ。」と、長男は女医に言われたのだそうだ。
そんなところへ、先ほどランチを一緒に食べた先輩がやって来てくれた。
「わかっただろ?これが医療の現場なんだよ!!○○くんがいくら立派なことを言っても、机上の空論にしか過ぎないこともたくさんあるんだ。俺たちは毎日、人の命を預かってるんだから!!」
長男は極めて温厚で優しい先輩に、初めて本気で怒られたのだそうだ。
2人とも政治に興味があり、今までもいろいろな分野に関して議論を戦わせてきたらしいが、こと医療改革に関しては、先輩はまったく譲らなかったのだそうだ。
先輩は、両親の不仲・離婚・生活苦の中で、奨学金とバイトで必死に食いつなぎながら医学部に通っていたという、今どき珍しいくらいの苦労人なのである。
数学が苦手な長男に、時々タダで勉強を教えてくれていた。どんなに出来が悪くても、決して怒らなかった先輩に、初めて本気で怒られたのだそうだ。
人が倒れていても、誰も助けようとしない現実。(みんな逃げる)
救急でも、たらい回しにされる現実。(搬送先が決まるまでに時間が掛かる)
お金がないと、十分な医療も受けられず、生活にも窮するという現実。
暖かい家族に囲まれて療養出来る人間ばかりではない、という現実。
救急の現場は人手不足で、救急医自身がかなり疲労困憊しているという現実。
「オレはかなり恵まれてるんだよな。かあちゃんが、病気であんな風になったら・・・と思うとゾッとした。いつまでも元気でいてくれ。」と、長男はちょっと奮発してケーキを買って来てくれたのだった。ありがとう♪
現場を見て現実を肌で感じて、本当に困ってる人を助ける政治でなければ。
「机上の空論になるな!」
と、先輩が本気で怒ってくれたことは、長男への大きな大きなプレゼントだと思った。
この日記を書いた頃は、もちろん、乳がんになるなんてまったく予想もしていなかった。抗がん剤ではげてた頃に倒れたりしたら、私も“老女”と思われたかもな、と思う。病状が進んでフラフラの状態だったのだろうな。
自分が癌患者になって初めて、医療の現場の大変さを感じることが多くなった。