rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

今度は父が癌の疑い?

お盆に会った時から、「血液検査でPSAの数値が上昇してるから、専門医の診察を受けるように言われた。」と言っていた父。かかりつけの病院から紹介された病院と医師が気に入らず、伯父(父の姉の旦那さん)が前立腺肥大の手術をしたクリニックにようやく行ってみたとのこと。

「PSAの数値が14まで急上昇してるから、早急に生検するように言われた。前立腺がんの疑いがある、ってことだ。以前はクリニックで生検もしていたらしいが、今は大学病院に一泊入院して検査するらしいな。」

うちの実家から大学病院までは車で一時間半ほどかかる。一泊入院して検査し、その結果を踏まえて手術や治療方法が決まるのだろう。

「しかし、今って、医者は何でも話すんだなー。あまりにも怖いこというもんだからさすがにビビったよ。帰ってきてから、年下の友人と酒を飲みに行って、少し元気になった。」

「オレももう76歳だからな。これで死んでもいいくらいの年齢だ。先輩や同級生たちはほとんど死んでしまってるし、な。二人っきりの姉弟だから大丈夫だとは思うが、死んでからもめることがないように、ちゃんと全部やっておくから。今死んでもオレは悔いはないが、残される○○(弟)のことはかわいそうでな。。。」

ええーっ、と思いつつ、父に心配を掛けまいと思った私は、
「○○のことは、いざとなったら私が面倒見るから。それに、癌については私の方が先輩なんだから、大船に乗ったつもりでいていいよ。」と大見得を切った。「そうか!」と父も少しほっとした様子。

私には3歳年下の弟がいる。高校三年生の時に精神的な病を発病した。何度かアルバイトとして働いたことがあるが、数年すると解雇されてしまう。今は仕事もなく、ただ家に引きこもっているだけの毎日だ。服薬することで普通に生活は出来ているが、積極的に外に出て人と関わりあうのは無理だと思う。

9年前に他界した私の母は重度のリウマチで最後は寝たきりだった。父は定年を1年早めて、ずっと母の介護をしながら家事をこなし、弟の面倒も見ていたのだ。

ある時、こう言い放った。
「オレはこれから先、絶対、落ち込まないことにしたんだ!!」

体の自由がきかない母と、精神的な病気を抱えた弟を見ていたら、どうしたって気が滅入る。それを吹っ切るための父なりの知恵だったのだろう。旅行が大好きな父は、それでも年に1、2回は友人たちと出掛けていたけれど。

性格も体質も父に似ている私は、父の考え方がよく分かる。弟は結婚も就職もしないだろうから、私の実家はいずれ滅びていく。父は自分が亡くなったら、家屋敷は全部取り壊して更地にしてくれて良い、と思っているようだ。

その手続き等の一切合切は私がやらないといけないんだよなぁ・・・。弟にはそんな力はない。

弟のことは、私の中では大きな大きな悩みだった。だけど自分が乳癌になって、抗がん剤の副作用に苦しんだりしているうちに、不思議なことに(大した問題じゃないな。)と思えるくらいまで意識が変わった。

親の介護で大変な思いをされてる人たちもいるのだ。弟の1人くらい、なんのその!である。

父のことは助けてあげたい。しかし、実家から遠く離れていると難しい面も多々あるのだ。私は仕事を持っていて、受験生の次男がいて、夫は単身赴任中。こんな時に家族で協力しあえない。

何かの統計で、「日本では49歳が一番不幸感の高い年齢」という結果が出たそうだ。私は12月で48歳になる。この年齢って、いろいろ大変な状況を背負いやすい時期なのだろうな。

父の検査結果が全部出るまで、何だか落ち着かない気分である。