rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父の一周忌

父が亡くなったのは昨年の11月16日。早いものでもうすぐ1年になる。

夫の姪の結婚式が11月19日。2泊3日で東京に行く予定なので、父の一周忌を1ヵ月ちょっと早めて、この3連休にやることにした。法事は遅くするのはまずいが、早めてするのは問題ないことらしい。

私の実家あたりでは、一周忌に親戚などを集めて大々的に執り行うことはしない人が多く、身内だけでお寺でひっそりと、というのが一般的らしい。父が生前そのように言っていたので、今回も私と夫の二人だけでお寺さんに行ってきた。

土曜日の朝、車で移動。5時間かけて到着し、午後4時から法事。バケツをひっくり返したような豪雨の1日。車から出るたびにびしょ濡れになった。連休中日の日曜日は法事の予約が何件も入っているとのことだったが、土曜日の夕方はうちだけで、お寺の中もひっそりとしていた。

「1年、本当に早かったですね。」「みなさん、同じことをおっしゃいますよ。1年早かった、3年早かった、あっという間だったって。年を取るともっともっと早くなるらしいです。」なんて話を住職さんと交わした。

お寺に行く前に、夫と二人で本家のTさん宅に顔を出した。

Tさんの奥さんが「8月は初盆だからって、親戚以外にもいろんな人がお墓にお供え物をしてくれてたよ。この前のお彼岸の時も、誰なのかわからないけれど、何人もお花をあげてくれてたわ。○○さん(父)はみんなから慕われていたからね。悲しんでる人、思い出してくれてる人が多かったのね。」と教えてくれた。田舎の人たちの温かい心遣いに、ジワッと感動した。

翌朝早く、父の友人Nさんが鉢植えに水をやりに来てくれた。毎日のように来てくれてるらしい。そのNさんから「ちょっと聞いた話なんだけど、この家を売りに出してるって本当か?」と聞かれ、「そうです。5月に不動産屋に相談に行った時、売りに出すなら早い方が家の傷みも少なくていい、と言われて。でも、まだ全然買い手はつかなくて。話もパッタリなくなりましたよ。」と答えた。

「・・・そうなんだ。」とNさん。顔色が変わるのがハッキリわかるくらいの落ち込みようだった。寂しそうに肩を落として帰って行った。

「Nさん、大丈夫かな?落ち込んでたよね。表情が一瞬にして変わったのがわかったよ。」と夫も心配していたけど、これはどうしようもないこと。住む人がいなくなった家はたたむしかないのだ。

たった一人の生き残りの私に与えられた使命は、「実家をきちんとたたむこと」だと思うのだ。

☆   ☆   ☆

3月、5月、7月、10月と、今年は4回空き家になった実家に行ってきた。片道約300kmの距離を5時間ちょっとかけて車で移動。高速道路を使っても大差ないので、途中有料道路のみ使うパターンで行き来している。ほぼ夫が運転し、疲れたら私も交代で運転してる。それでも結構大変である。

結局、空き家の買い手は現れず。夏以降は不動産会社からの連絡もパッタリ途絶えた。遠距離で連絡もないとなると、ますます難しくなって行きそうである。

実家の片付けも5月以降進まなかった。これは来年に持ち越しだ。夫と話し合って、しっかり片づけるための計画を練った。処分しないといけない大物もいろいろあるので、業者に連絡取ったり、調べたり。この点は夫がよく動いてくれるので、本当に助かる。

今回驚いたのは、“NICOT”という「食料品・弁当・酒も扱うホームセンター」が近所に出来ていたことだ。ホーマック系列のホームセンターらしい。今までコンビニは近くにあったけれど、このホームコンビニはそれ以上に便利!なんでも揃う。

「こんな不便な所で暮らしたい人っているかな?と思ってたけど、便利になったね。これなら、たとえ実家が売れなかったとしても、別荘だと思えばたまに遊びに来るのもいいかもな。」と夫が言い出すくらいなのだ。

生前、父は週に1、2回、片道30分かけて町のスーパーまで買い物に行っていた。品ぞろえの良い店はそこまで行かないとなかったのだ。このホームコンビニが出来たのはありがたい。

冬の間は通えないので、がっちりと冬囲いをして実家を後にした。

あとは来年の春以降だな。長距離を通ってメンテナンスと片付け。大変な日々は続く。

とりあえず、父の一周忌まで無事終了。仕事も忙しく、ここまでが大変だったので、ようやく少しほっとした気分である。