rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

さようなら、お父さん。

父は11月16日午後10時53分、天国へ旅立ちました。

病院の看護師さんから「呼吸状態が悪いので、すぐに来られるように準備されてください。」と電話が来てから10分後、「残念ですがお亡くなりになられました。」と。

悲しみにくれる暇もなく、「ご遺体はどうされますか?病院に安置されますか?ご自宅の方にすぐに運ばれますか?ご家族の方はすぐに来られますか?」と選択を迫られ、「えっ。普通は、一般的にはどうするものなんですか?」と逆に質問したりして。

病院へは市内に住むいとこたちがすぐに駆け付けてくれて、男性二人は一晩付き添ってくれた。私と二男は翌朝一番の新幹線で駆け付けた。新幹線の最終便には間に合わなかった。父のことばかり浮かんできて、一晩中眠れなかった。

朝一番とは言うものの、6時40分発でしかも各駅停車。秋田に9時半に着いた。病院に駆け付けると冷たくなった父が穏やかな顔で眠っていた。

お父さん、ごめんね。ごめんね。
最期の時を見てあげることが出来なくて。

私もいとこたちも間に合わなかった。

主治医も「まさかこんなに早く・・・。申し訳ありませんが、そうは思えませんでした。」と言っていた。

今のホスピスに入院してからは、週に一度一泊二日で父の所に通っていたが、11月の第二週目は乳がん丸五年の検診があり、連休を取ることが出来なかった。その、私が行けなかった第二週目に急速に悪化して、最期は肺炎が命取りになった。

「悔やんでも悔やみきれない」というのは、こういう心境を言うのだな、と思った。

しかし、私は喪主なので、悲しみに暮れているわけにはいかず、次から次へと决めなければならず、田舎特有の独特のしきたりなどもあり、葬儀までが長い長い道のりだった。

ようやく初七日も終わり、自宅に帰って来た。ハラハラドキドキの4ヵ月は、こうしていきなり幕を閉じた。