rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

死への恐怖

一泊二日で父の病院へ行って来た。

ここの所、私に会う度うなだれる父。なかなか体がスッキリした状態にならず、些細な事でもイライラして私に当たって来る。「具合はどう?」と聞くと「何も良くない!」とため息をついた。

「また痛みがひどくなって来た。いつも飲んでる薬では効かなくなって、薬を追加してもらった。今日はもうこれで3回目だ!」

今までは1日2回飲んでた薬(医療用麻薬)が1日3回に変更になった。痛みが強い時はさらに追加の粉薬をもらう。「痛い時は我慢しないで言ってくださいね。」と看護師さんは優しく言ってくださるのだが、本人は痛みが強くなったことに不安を感じているらしい。

夕食後薬を飲み、追加の痛み止めも飲んで少しした頃、「おっ、痛みが無くなった。良かった〜。」とニッコリした父。その後はゆっくりと眠れたようだった。

私はこの日、家族室に一泊させてもらった。旅館のような六畳間でユニットバス・トイレ付。テレビもあってなかなか快適だった。

☆   ☆   ☆
翌朝の主治医の回診時、父はいきなり語り始めた。
「私はもう死期が迫っていると思うんですよ。」深刻な表情でその理由、最近の症状の変化などについて挙げていく。

またか、と思った。前回も、前々回もそうだった。すっかり“死への恐怖”に取り憑かれているようだ。末期の状態の人じゃないとわからない感情だとは思うが、日々こういう患者と接している医師や看護師さんのご苦労はいかばかりか、と思ってしまう。

「いやいや、◯◯さんはまだまだ大丈夫ですよ。余命を正確に診断するのは私たちにとっても難しいことなのですが、死期が迫って来てあと数週間、あと数日、という患者さんの場合は、血液検査で腎機能や肝機能の数値が落ちてくるので、だいたいわかるんですよ。◯◯さんは血液検査の結果を見ても大丈夫な状態ですから。お正月も越せると思いますよ。」

主治医がとても丁寧に説明してくれて、「いよいよダメな時は、ご飯も食べられない、自分で歩けない、トイレに行けない、意識状態も悪くなる、などポイントがあるんですよ。今、◯◯さんは全部出来てるでしょう?」とまで言ってくださったが、父は納得していなかった。本当はかなり悪い状態なのに、主治医が隠しているのではないか?と猜疑心の塊だ。疑いの眼差しを向けていた。

「今までの患者さんでもいらっしゃいましたよ。でも、3カ月経って本当に大丈夫で、ようやく納得されたようでした。」と主治医。

痛みが酷いので薬を追加してもらうと、今度は副作用がひどくなる。記憶が飛んで自分で言ったこともわからなくなる。だるくて眠くて何もしたくなくなる。食欲もない。「ある程度は我慢するより仕方ないこともありますよ。どちらを取るか、なんです。」と主治医に言われたらしい。薬の副作用なのか、入院のために認知機能が落ちてきたのか、病状が進行しているためか、辻褄が合わないことを言ったり、言ってることがころころ変わったりすることも多くなった。

そうかと思うと「昨日は娘が病院に泊まってくれてる安心感からか、久しぶりにぐっすり眠れました。私の今一番の願いは娘と一緒に暮らすことです。でも、わがままばかりも言ってられないから、我慢します。」と和やかな表情で言ってみたり。

思わず私は「えーっ、そうなの?」と言ってしまった。主治医と看護師さんはニコッと笑って「そうですか!それは良かったですね!」と言っていたが、(昨夜の痛み止めが良く効いたんだろうな。)と私は冷静に受け止めた。

父は精神的な不調もあって、娘が来てくれさえすれば自分の辛さを救ってもらえるかのように思っているようだが、私に魔法の力があるわけではない。

地元の大病院を退院した時、10日ほど実家で父と2人で過ごしたが、体が辛くて不安でどうしようもない、という所はどうにもならなかった。私がいれば全て解決かというと、そんなことはない。

「だからこの前言ったでしょう?私の所へ来てくれれば、毎日病院に会いに行けるよ。うちの息子も行けるし、うちの夫に頼んで、たまには車で実家にも連れて行ってあげるよ。」と私が言うと、またウーンと考え込み、「でもそうすると、親戚や友人や知人たちには会えなくなる。そういう人たちの顔も見たい。遠くに行きたくない。」と父。

どこまでも堂々巡りの話し合い。「私が通わないといけないから週に一泊二日が限界なんだよ。私の所に来てくれれば毎日会いに行けるよ。」いくら言っても父の中での葛藤は続く。

社交的な父は周囲の人間関係すべてが大切。私は「最後の面倒はやっぱり家族だよな。」と思う。もともとしっかりした人なので、認知機能が衰えていくことへの恐怖も相当あるのだろうな、と思う。

まだまだ病院通いの日々は続く。