rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

緩和ケアの病院へ

地元の大きな病院を退院して、父と2人実家で10日ほど過ごした。パート先の職場には無理を言ってずっと休ませてもらっている。14日には自宅に帰る予定である。

退院した当初元気だった父は、日に日に頼りなくなって行った。10日の朝起きて来て、「明け方トイレに行ったらオシッコが全然出なくてビックリした。オレはもうダメなんじゃないか?と思って。3回くらいトイレに起きて何とか出たけど、また胸が苦しくて息苦しくて、全然眠れなかった。」と訴え、うなだれていた。

この日の夜も「また胸が苦しくなったらどうしようと思うと、怖くて眠れない。」とうなだれた。辛そうだけれど連休中の夜。これから大学病院の救急外来に連れて行くべきか?でも、入院中もずっと胸が苦しいと訴えたが「逆流性食道炎ですね。」と言われて何も対応してもらえなかったし。実家からは1時間20分ほどかかる。

緩和ケア(ホスピス)の病院へは予約したばかりなので、行ってもどうしようもないだろう。当直の医師はいるはずだが。普通に考えて、父の主治医はまだ地元の大病院だし。

睡眠薬も出てたよね?じゃあ、睡眠薬飲んで寝ちゃおう。」と私が提案し飲ませた。ぐっすり眠れた父は翌朝、笑顔で起きてきたのでホッとしたが、胸の苦しさ、息苦しさは、夜中だけではなく日中も時々襲ってくるようになった。病状がかなり進んでいるのだろうか?

父はかなり消耗して、ソファーに横になってることが多くなった。田舎なので来客が多く、人が来るとシャンとして元気に話してるが、体はしんどそうである。

「私は明日帰るからね。何とか1人で頑張ってよ。宅配のお弁当も毎日夕方届くから。」と、帰宅準備をしていた13日の朝。突然、緩和ケアの病院から電話があった。

「ベッドが空いたのでご連絡させていただきました。明日から入院出来ますが、どうされますか?」

ええーっ!!まさかこんなに早く連絡が来るとは思わなかった。面談に行って予約してから10日ほど。1ヵ月はかかるだろうと思っていた。人気があって待機患者がたくさんいる病院なので、それ以上かかっても仕方ないと思っていたのだ。

コネは使ってないし、普通に面談して予約しただけ。父の優先順位が高かったのだろうか?よほど重篤な病状と思われたのか?と思ったが、たまたまタイミングが良かっただけなのかも知れないな、と後で思った。

突然のことにうろたえて右往左往。まあ、私はいつもこんなものだ。「では、明日から入院ということで、よろしくお願いします!」と告げて電話を切ってからがまた忙しい。

宅配の夕食弁当をキャンセル。介護申請は取り下げることにして、役所と事業所に連絡。16日に外来予約になってた大病院に電話してキャンセル。いとこたちに連絡。私の職場にも連絡。夫や子供たちにも連絡。父にいただいたお見舞いのお返し品を頼んでいた業者にも連絡(父の代わりに支払いその他に対応するため)。田舎なのと父が社交的なので、これがまたひと仕事なのだ。入院していた分の生保の手続きもある。

しかし、なんというタイミングだろう。私が帰ったら一人になる(また一週間後に休みを取っていたが)、と思っていた父は喜んだ。不思議なタイミングだ。雪囲いを依頼した工務店も、トイレ修理を依頼した所も、家から出た大量の不要品を片付けてくれる便利屋も、12日の朝、同時刻にやってきてすべての用事が片付いていた。何だか不思議なくらいタイミングが良かった。

☆   ☆   ☆
14日、父、緩和ケアの病院に入院。
主治医が病室にやってきて、丁寧に丁寧に父の体を診ながら話を聴いてくれた。
「あの先生はいい人だな。人の目をまっすぐに見て話をしてくれる。いい先生だ!」と父は大変気に入った様子。自分が今まで抱えていた辛さや苦しさを初めてまともに聞いてもらえて、満足したようである。

主治医は「私は正直にすべてお話しすることも出来ますが、どうされますか?全部お聞きになりたいのであればお話ししますが。」と父に聞いてくれた。父は「いや、聞きたくないです。そんなもの聞いたところで変わるわけもないでしょう。知らないほうがいい。娘に話してください。」と答えた。

大病院に入院していた時は、主治医3人に「いろいろ準備しなきゃいけないこともあるから、余命を教えてほしい。」とお願いしていた父だが、何度も打ちのめされているうちに、ほとほと嫌になったらしい。“知りたくない人”に変身していた。

入院手続き等を終えた夕方、私一人で主治医と面談。

「CTとレントゲンの結果から診て、この程度だと肺転移も肝転移もそれほど大変な状況ではありませんよ。ほとんど症状は出ないくらいだと思います。ご本人が胸の苦しさ息苦しさを何度も訴えてるのは、肺に何かあるというよりは、精神的なもののような気がします。パニック障害の症状と一致するんですよ。お話してみても不安感がとても強いようですから。抗不安薬を飲んでみて、症状が出なくなれば納得されると思います。」

「体はとてもしっかりされてますよ。80歳でガン患者でこのくらいなら、何も問題ない位です。ここに入院して、入院した時より元気になって退院される方もたくさんいらっしゃいます。その時のことも考えて準備されてた方がいい。同じグループの老人施設が空いたら紹介することもあります。患者さんの同意を得られてから、ということになりますが。」

「余命に関しては年単位ではないでしょう。月単位で考えた方が良いと思います。半年大丈夫か?3ヵ月大丈夫か?どちらも太鼓判は押せません。治る見込みのないガンなので、いずれは弱っていく時が来ます。」

「末期のガンですので、ごく稀に急変することもあります。10%くらいですが、運悪くその10%に入ってしまう場合もあります。普通の病院で行うような濃厚な医療はしないことになりますが、患者さまはご理解いただてけますか?」

少なくとも1ヵ月くらいで・・・ということはないだろうとのこと。良い病院に入れてホッとしてる父を見て私も安堵したが、この先3ヵ月後くらいのことも考えて準備して行かなければならない。まだまだ道は険しいのだ。

疲れた体にムチ打って今日から仕事。でも、普通の生活に戻れるのはありがたい。