rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

父の末期癌・告知後

医師から末期の癌であることを告知された父。
その話を聞いた晩は、「父が死んじゃうかも知れない」というショツクで、怖くて怖くて何度も目が覚めた。思い出すたび涙が出てくる。仕事中にも身が入らない。

夫に伝えた所、すごくショックを受けていた。
「お父さんは80才だけど、すごく元気だしまだまだ先のことだと思っていたのに、突然こんなことになるなんて。」「いろいろ考えたんだけど、行ったり来たり出来る距離じゃないから、うちに来てもらって一緒に暮らそう。こっちで面倒見ようよ。それが一番いいよ。」
夫の突然の優しい提案。涙が出そうなくらい嬉しかった。

今朝早くまた夫から電話があった。
「やっぱりうちに呼んで一緒に暮らそう!絶対それがいいよ。これから体がきつくなったら、1人で生活するのは無理だよ。まず、仕事はまとまった休みをもらって、お父さんの所に行って来るといいよ。」
夫もいろいろ考えて眠れなかったらしい。

少しして二男が、「家のことはオレ1人で全然大丈夫だから。お母さん、おじいちゃんの所に行ってあげて。うちに来てもらうより、おじいちゃんの性格だと、今のままの生活を続けたいと思ってるんじゃないかな?お母さんが行ってあげるのが一番現実的だと思う。いよいよ具合悪くて大変、となったらうちで引き取ってお世話してあげてもいいと思うし。」と言って来た。

そうだな、と思った所にまた夫から電話。「やっぱりさ、母ちゃんが秋田に行ってあげなよ。仕事の方はまとまった休みをもらってさ。」というわけで、みんなの意見が一致した。

夕方、実家の父に電話した。
癌がある所の背部左下側がかなり痛むようである。鎮痛剤が朝晩分しか出てないとのことで、薬が切れる頃に痛みが強くなり辛いとのこと。やはり、癌の末期は痛むものなのか。

電話中にコンコンと咳も聞こえ、(肺にも転移してるからかな)と気になった。

「オレは常日頃から、いつ死んでもいいと言っているが、さすがに癌告知された晩はガクーンと来たよ。晩御飯は食べられなかった。でも、昨日からはちゃんと食べてるよ。食べないとダメだと思って。」と父。そうだよね。私もかなりガクーンと来た。

抗がん剤はやるつもりなの?あれは大変だよ、苦しいよ。」というと、「おう、やるつもりだ。周りにも抗がん剤やってる人はいっぱいいるぞ。高齢者には弱くしてやってくれるらしいよ。髪の毛も抜けてないし。」とやる気マンマン。「最初に投与される時は大学病院に2週間入院したと言ってる人もいる。オレもそのくらいかな。」と。

夫が「こっちに呼んで一緒に暮らそう。でもやっぱり、母ちゃんがまずはマメに行ってやれ。」と言ってることを伝えると、「そんな・・・いいよ。」と涙ぐんでいるようだった。

ネックになるのはパートの仕事だけだ。もうこうなったら、それどころではない。まずは父のそばに行って一緒に過ごしてあげたい。ようやく気持ちがひとつの方向を向いてきた。