rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

リース作りを始めた頃

乳がん患者の闘病ブログかと思っていたら、いつの間にか花ブログに変身?この人って一体何者?
と不思議に思われてる方も多いと思うので、この趣味にハマり込むまでの経緯について、ちょっと振り返って見たいと思う。

2004年5月。
少し前まで小学校のPTA本部役員と地区の子ども会の副会長を兼任していた私は、すっかり「役員・ボランティア」なるものに嫌気がさしていた。

「今年は絶対に自分のやりたいことをやってやる!」と意気込んだものの、さてどうしようか。子供たちが小さかったころは子供服作りに熱中し毎日のようにミシンに向かっていたものの、大きくなるにつれ創作意欲もなくなった。

幼稚園ママ時代は、おかあさんサークルでパッチワークに熱中していたこともあったけど・・・。私には地味なチクチク系は合わないな、と感じてやめてしまった。

そんな時にふと、「フラワーアレンジメント教室」が頭に浮かんで来た。以前、ポストにチラシが入っていたことがあり、その教室の名前が不思議と頭に残っていたのだ。さっそくネットで場所を調べ訪ねてみると、ご自宅の横に山小屋風の素敵な建物があった。そこが教室のアトリエだった。

温かく出迎えてくださった先生のお人柄と飾ってあった作品の数々に魅了された私は、すぐに入会を決め、あっという間にフラワーアレンジメントに夢中になって行った。

教室に通い始めてまだ間もないころ、近所の洋菓子店で作品展示会を開催することになった。普段は生花のフラワーアレンジメント教室だけど、この時は枝を組んで土台を作り、自分の好きな花材でアレンジすることになり、テーブルの上にはドライフラワーや木の実がどっさりと用意されていた。

初めてドライフラワーや木の実、さまざまな“花のあと”に出会った私。香りに魅了され、形に魅了され、生花とは違う魅力に取りつかれた。木の実のことなど、まったく知らなかった。なんて面白いんだろう、と発見の日々である。

気がつけば、家のパソコンでネットを利用してさまざまな花材を買い集め、フラワーショップでバラの花を買ってきてはストーブの上で乾かしてドライにしたり。気がつけばヤフーのオークションに自分で作ったリースを出品していた。

リースの作り方なんて覚えたばっかりなのに、いい気になってどんどん作っては売り、作っては売り。価格をかなり安く設定していたので、これがなかなかよく売れてくれた。10個くらい作ってようやくコツがつかめたくらいだったのに・・・。今思うと本当にお恥ずかしい。

当時、年に2回、教室のすぐ近くのフレンチレストランでフリーマーケットのようなイベントが行われていた。フラワーアレンジメントの先生が主宰者だった。このイベントのためにリースや壁掛け、アレンジなどの作品を教えてもらいながら作り、販売した。

その後、参加者が増え手狭になったことから、会場も大きなところを借りることになり、会員の活動やイベントも増えて組織としての活動が始まった。

さてさて、2005年6月からは新しくオープンしたベーカリーで週3〜4日のパート勤めを始めた私。忙しいながらも作品づくりや教室通いはコツコツと続けていたが、翌2006年2月でパートはやめた。その直後はアートフラワーのコサージュ作りに熱中した。ひたすらコサージュを作り続け、ヤフーオークションで売りまくっていた。

その後、2007年には「フラワー装飾技能士」の国家資格を取りたいと思い、先生に個人レッスンをお願いしたり、資格検定のための講習に何度も通ったりしたものの、実技の技術が追いつかず不合格。

ところが、組織として活動していたところのwikiブログに、リースの作品を掲載していたのを見た人から、「小学校の研修委員会でクリスマスリース作りの講座を企画しています。ぜひ講師をお願いしたいのですが。」と、ご依頼があり、生まれて初めて「人にリースの作り方を教える」という体験をさせていただいた。

この時のご縁で、委員の方の職場でもクリスマスリース作りの講座を開催させていただいた。こんな、ドシロウトに毛が生えた程度の私に。今考えても、(あの時はがんばったなぁ。)と胸が熱くなる。

2008年からは今のパートの仕事を始めたので、フラワーアレンジメントの教室は続けられなくなった。先生主宰の活動の方も資金繰りなどがうまく行かず、解散することになった。個人で活動を続けられている方は、今も頑張っているようである。

週五日勤務のパートでは、活動することも難しい。私は今は、まったく自分の趣味として自宅に飾るものを作るのみである。体がキツくなってパートを続けられなくなったら、その時はまたリース作りに没頭しようかな、と思っている。