rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

ハーセプチン5回目

しとしと雨の降る中、ハーセプチン5回目投与のため病院へ。

看護師さんの問診を受けながら血圧測定。すると、142-95などというすごい数値!!自己最高記録を更新。急ぎ足でフーフーいいながらやってきて、座ったまま測定したためらしい。ハーセプチン投与の前後にベッドで測定したら、110-73といつもどおりでほっとした。

関節痛は体が慣れてきたのか、最近はそれほど苦痛に感じていない。朝、起床時の手指のこわばりも、短時間でスムーズに動かせるくらいになって来た。なので、“こわばり”というほどでもないかな?右手の人差し指と左手の親指がバネ指っぽいけど。この程度ならあまり支障はない感じである。

ここの所、いつも二人部屋とかだったのだが今日は5人部屋。向かいのベッドの方が話し掛けてくれた。(私の通う病院では入院病棟で通院投与もしている。)

「手術はもう終わったんですか?」
「ええ、昨年の11月に。術前化学療法をされてるんですか?」
「そうなの。でも、術前とか術後って、どうやって分けられるのかしら?知りたいけど怖い気もするわ。調べればいろいろ分かるんでしょうけど、私はあまり知りたくないの。知らないほうがいいこともあると思うし。」

脱毛後、ポヨポヨ〜と産毛が生えてきた感じの頭の方だった。一昨日、手術したのだという。ウィッグを取って、抗がん剤終了後3ヵ月の私の頭を見せたら、
「私なんか産毛が全部白髪なのよ〜。産毛が白髪なんて初めて見たわ。ショック。黒くてうらやましいわ。」と言われた。私も生え始めは白髪が多かったので大丈夫、と励ました。

「ずい分早く終わる点滴なのね。」と言われたので、
ハーセプチンというお薬なんですよ。」と言ったら、
「ふうーん。抗がん剤ともまた違うのね。色んなのがあるのね。」と言っていた。やはり治療法についてはあまり調べてないのだろう。

私も以前は“知るのが怖い派”だった。でも自分が乳がんになってからは、“とことん調べる派”に変身した。とことん調べ尽くして安心材料も不安材料も全部吟味したい。知らずに生きるなんて到底出来ない。

もしかしたら命が短いかも知れないのだ。やりたいことをやれる時に、動けるうちに、元気なうちにやっておきたい、行ける所に行っておきたい、と強く思うようになった。

そして、ちょっとわがままになった。嫌なことはいやなのだ。出来ないことは出来ないのだ。無理して嫌いな人に合わせたり、会いに行ったり、という機会をなるべく減らすようにした。だって、時間はたっぷりじゃないかも知れないのだ。それで悪く思われたとしても別にいいや、と思うようになった。そんな時間はもったいない!

自分の病気について詳しく知りたくない、という方にお話するのは難しい。余計な知識もお節介になるだけだろうしなぁ、と思ったのでそれ以上は語らず病室を後にした。

☆   ☆   ☆
昨夜の日本テレビ系「ザ・世界仰天ニュース」、ご覧になった方は多いのではないだろうか。
トリプルネガティブ乳癌で4年数ヶ月の闘病の末、亡くなられた千里さん(ハンドルネーム)のことを取り上げられていた。彼女はブログを心の支えにして、辛い闘病生活を送っていたのだという。

早期に見つかったのに翌年には再発。鎖骨に転移し、骨転移、皮膚転移、肝臓にも転移したようだった。息子さん二人もまだ小さい。旦那様は献身的に支えててすごいなぁ、と思った。

家族の前では弱音を吐けなくて、ブログに思いのたけをぶつけていた、というのはすごくわかる。同じ病気の人とじゃないと無理だよなぁ、と思うことはいろいろあるもの。仕事仲間や友人に自分の不安だのを思い切りぶつけたら、すごーく重くて、聞いた方も大変。受け止めきれない。子供たちにも、重い大きな荷物を背負わせてしまうような気になる。
だからブログなんだろうなぁ。

読んでいただいてる皆さん、本当にいつもありがとうございます♪

でも、フクザツだなあ。一般の視聴者は、「乳がんの闘病って、最後はやっぱりあんなに大変なことになるんだ。」という印象を持ってしまうのではないかな。「乳がんって、初期なら手術で取ってしまえば、簡単に治るんでしょ?」と言われるのも何だかなーと思うけど。

何より、今現在、一生懸命頑張って治療しているトリプルネガティプの方たちを傷つけてしまうのじゃないか?これはすごーーーくデリケートな問題なのに。

がん患者は生還したサバイバーの話をもっともっと聞きたいのだ。そういう番組の方がずっと大切なのに。