斜め向かいのベッドの方は65才。トイレに行くにもお風呂に入るにも、車椅子に乗せて看護師さんが付添っていた。かなり痩せていて、ちょっと動くのも辛そうだが、お喋り好きで話すことはしっかりしていて、なかなか博識である。
ちょっとした会話の中で、「ゾメタ」という薬名が出てきたので、(もしかして骨転移?)と思ったら、やはりそうだった。
最初、おばあちゃん達とはなかなか話も合わないなー、と思った私だが、2日目の朝には和気あいあい。おしゃべりを楽しんでいた。以下は末期と思われる方のお話。
「自分でも乳がんだろうと気づいていたんだけど、親の介護もあってなかなか病院に来れなかったの。来た時には、もうすでに手遅れだったんじゃない?術前抗癌剤を12クールやってから手術よ。キツかったー。12クールぶっ続けは。それで手術は自家組織再建をやったの。5〜6時間も掛かったのよ。形成外科の先生が来てくれて、一緒に手術。メスで切られた跡がすごいわよ。胸はとってもきれいに作ってもらえて満足だったけど、手術した夜は、とってもとっても辛かった。」
「そんなだから、再発も当然、と思っていて、私はあまりくよくよしなかったの。何回か入院していると、小さな小さなガンでも泣いてるような人、多いでしょ。気持ちはよくわかるんだけど。みんな泣いてるよね。そんな人たちに私の傷跡を見せると、自分は軽い方だと分かって、すごく元気になるのよ。私と同じ部屋になった人は、みんな元気になって退院していくよ。」
「人間、死ぬまで生きればいいのよ。どうせ死んだら意識はなくなるんだから。」
「少し元気になったと思ったら、肺と肝臓に転移して。その後は骨転移。骨転移は痛くて大変。」
大腿骨と首とあとどこかに転移してるとかで、首には放射線をかけたのだそうだ。
ドクターの回診時、痛みを抑えるために数種類の薬を使うことを提案されていたが、「我慢できない痛みじゃないから、我慢します。」と言われてて、看護師さんが、「痛みは我慢することないんですよ。お薬を使ってラクになるように治療していきましょうね。」と言っていた。
“緩和ケア”って、こういうことなんだろうな。
ドクターがお気に入りのようで、「先生に看取ってもらいたいわ。」などと言っていたとか。
体はとっても大変な状態なのだと思うが、ご本人はクヨクヨしてなかった。身の回りにも他の臓器のガンの方が多く、わりと皆さん明るいのだという。お話の中で、「教会に通ってる」とも言われていたので、もしかしてクリスチャンなのかな。
乳がんになってからというもの、人生勉強の日々だ。