rosa8719の今日もご機嫌

59才で2回目の乳がんに。息子二人は独立し夫と二人暮らし。一日一日をご機嫌に。

巨大地震を体験して・地震当日

3月11日(金)、午後2時46分。

昼休憩が終わって仕事を始めて10分位経った頃。家具がガシャンと倒れる音がした、と思ったら、ピキピキッときしむような大きな音。「地震だ、強いぞ!!」「カウンターの下に避難して!!」あっという間に大変な状況になった。

「皆さん、落ち着いてください。少し揺れがおさまったら、玄関の外に出てください。慌てないでください。」店長は、立ったままで冷静な指示を出し続けた。その店長の頭の上、天井から吊るしたガラスのボードにピキピキッと、見る間にヒビが入った。「店長、大丈夫ですか!」

店の中はものすごい横揺れで、食器などの割れ物がドンドン壊れていった。体感時間にして3分位は大揺れに揺れていたように感じた。私の所から、2階の踊り場で階段の手すりにつかまって揺れに耐えているお客さまの足が見えた。

揺れが少し弱まったタイミングで玄関の外に避難した。社員さんたちは、店内にお客様が残っていないか、確認してから外に出た。店の看板上の夜間照明がグラグラと揺れていて、1個は壊れて落ちていた。地震は簡単にはおさまらず、外に出てからも揺れ続けている。

「パートさんたちは、安全に気をつけて帰ってください。」と店長。荷物をロッカーから出して、各自、車で帰ることになった。「足がガクガクして、こんなんじゃ運転出来ない。」と、みんな不安そう。

「携帯は使えなくなると思うから、メールで家族の安全を確認するといいよ。」と、Aさん。震災直後のこの時はメールの送受信が出来、あとで「新着メールの受信」で確認出来たので、これは役に立った。今回、携帯電話はまったく使えず、メールの送受信もうまくいかなかったので、この時のメールで無事を伝えられて良かった。
※携帯電話が復活したのは3日目の深夜。震災直後のメールで無事を伝えておくべし。

信号機は消え、誘導する人もいない。大きな道路はすでに混雑していた。いつもどおりの横道に入り、裏を通ったらスムーズに帰宅することが出来た。しかし、信号は機能していないのだ。交差点や右折・左折時に、かなり注意しないと危ない。

15分ほどで自宅に到着。春休みで帰って来ていた大学生の長男と高3の次男の名前を呼んだ。玄関のドアは開けっ放し、部屋の窓もすべて開けっ放し。2人の姿はなく、心配になった。
※玄関や窓、ドアは開け放しておくこと。

しかし、2階の部屋のほの暖かさと、部屋のストーブが強制的に止まったような感じ、長男のパソコンがチャットの途中で止まっていたことなどから、「2人はきっと無事だ。」と思った。しばし1人で待つ。

少しして玄関のドアが開いた。「かあちゃん、無事か!」と長男。パジャマにコートをはおっていて足はサンダル。
地震直後、次男と2人で近くのミニストップに買い物に走り、大量のポテトチップス、チョコレート、ミルキー、ハイチュウ、ペットボトルのお茶などを買ってきたのだという。これは後で非常に助かった。
「店員が1人しかいなくて、最初は売れないって言ったんだけど、お客が『冗談じゃねえ!』と怒って、電卓と手書きのレシートで売ってくれることになったんだ。」とのこと。この時すでに店内の商品は残り少なくなっていたよう。

自宅付近は住宅の新築ラッシュで、この日も地盤工事の作業をしている人がいたが、震災直後も平気な顔で工事を続行していて、息子たちにも声を掛けてくれたのだという。「オレは宮城県沖地震も経験してるから。あの時は、車の中で何日か過ごしたな。暖かいし、車はわりと安全だよ。」と教えてくれたらしい。

魚屋のおじさんは、「水は大量に備蓄してるから、何かあったらおいで。宮城県沖地震を経験してるから。水は大事だよ。」と声を掛けてくれたらしい。ご近所の人たちの何気ない一言や暖かい声掛け。これは心に沁みた。

震災当日の夜。
長男と次男と私は、車の中に毛布をたくさん持って行って、ヒーターをつけたり消したりしながら過ごすことにした。車ならラジオも聞ける。とりあえず、ポテトチップスとお茶でしのいだ。電気もガスも水道も止まっている。家の中の暖房器具は電気がないと使えないものばかりだった。

近所のKさんが心配して何度も見に来てくれた。「うちには小さな反射式のストーブがあるから暖がとれるけど・・・。うちの娘が来てて、2ヵ月の赤ちゃんと小さな子もいるから。良かったらこれ飲んで。温まるから。」と、お湯の入ったポットと、お菓子、紅茶のティーバッグをくれた。ありがたかった。
※電気が来なくても使える暖房。反射式ストーブは役に立つ。
※震災直後に風呂に水をたくさんためておくべし。なるべくたっぷりと。うちの息子たちはここまで気が回らなかった。前日のお湯が残っていたので、これをトイレの水として使えた。しかし、4日目くらいが限界。

※今回の地震で一番ありがたかったのは人情だ。