3月11日(金)午後2時46分。
東日本大地震(東北地方太平洋沖地震)、被災者となってしまいました!!
47年生きてきて、初めての巨大地震。
ようやく、ようやく、4日目の夜となった今日、電気が復旧しました。
明るくて温かくて、心底ほっとしました〜。
震災後は、日没前にいそいで夕食を作って食べ、寒くてストーブも使えないので、毛布や布団をたくさん掛けてもぐり込んでました。
身の回りのものは、電気がないと使えないものばかり。反射式のストーブを持ってる家庭はラッキーです。我が家は、当日の夜と2日目の夜は、車の中(小型車に大柄な息子2人と3人)で暖をとり、朝まで過ごしました。エコノミー症候群に気をつけながら。
小さな懐中電灯だけが頼りなので、夜は何も出来なかったのです。
水道はまだ復旧していません。近所の人が分けてくれたり、今日は近くの中学校に給水車が来ていて、1人2リットル分をもらって来ました。
お風呂にお湯をためておいていたので、トイレの水を流すのに使えますが、そろそろ残り少なくなってきています。
食事はカセットコンロと少ない水、買い置きの食料でなんとか作ってますが、ガスボンベも残り少なくなり、心細いのなんの。
部屋が寒くて冷凍庫の中のモノが悪くなってなかったので、少しずつ焼いて食べることも出来ました。
まさに、サバイバー生活。乳がんサバイバーを目指していたら、巨大地震サバイバーまで経験してしまいましたよ!
とは言っても、家族全員元気でけがもなく、家も大丈夫。命あってのものなので、本当に安堵しました。今回、実家が気仙沼や女川で、連絡も取れずに苦しんでいる友人知人もいて、他人事とは思えません。
自宅待機の私たちでさえ、電気・ガス・水道がない生活は不安で仕方なく、食料が目に見えて減っていくのも恐怖でした。今まさに過酷な状況の中で生きている方たちに、一日も早く平和な毎日が訪れるようにお祈りしています。
電気が通った、というだけで、気持ちはとっても温かく明るくなりました。本当にありがたいです。
入院も抗がん剤もどうなるんだろ?次男の後期試験もどうなるんだろ?すごいことが起きてしまいました。まさか、自分が・・・。
携帯電話が使えるようになったのは、日付が今日に変わってから。今朝、ようやく夫と話せて、実家の父とも連絡がついて。夜には、高校時代の友人から何年かぶりかで電話をもらって嬉しかったです。
詳しいことは後日ゆっくり書きますね。